解説者のプロフィール

信川益明(のぶかわ・ますあき)
東京都生まれ。慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程修了。千代田漢方内科クリニック院長。医師、医学博士。漢方薬と西洋薬を組み合わせた治療で内科一般や漢方全般を診察する。慶應義塾大学医学部教授を経て、現職。(一社)日本健康科学学会理事長や厚生労働省委員なども務める。テレビなどのメディアに多数出演。著書に『新よくわかるサプリメント―医者と患者のための完全マニュアル』(三宝社)などがある。
西洋薬だけで改善しない人に漢方薬はお勧め
祖父が漢方医だったことから、私は子供のころから生薬(天然に存在する薬効を持つ産物)に触れ、煎じ薬を飲み、漢方に慣れ親しんでいました。
また大学時代には、漢方治療の一般化に多大に貢献された桑木崇秀先生と出会い、漢方治療の教えを受けました。
そのとき、外科医が大腸手術後の治療に大建中湯(だいけんちゅうとう)(腹痛やおなかの張りを和らげたり、体を温めて胃腸の調子をよくしたりする漢方薬の1つ)を使用することなどを知ったのです。
このような経験があって、私は20年以上前から、西洋医学の治療に漢方医学を合わせて、種々の症状や病気を診療するようになりました。
もちろん、今回取り上げる逆流性食道炎の診療でも、漢方医学の知見を取り入れています。漢方医学では逆流性食道炎をどのようにとらえるか、簡単にご説明しましょう。
逆流性食道炎は、本来胃にあるべき胃酸が食道に逆流して炎症が引き起こされる病気です。西洋医学では胃酸過多や食道からつながる胃の入り口(噴門)の閉まりが悪くなるといったことが原因と考えられています。
一方、漢方医学では胃腸や消化器全体の機能を、「脾胃(ひい)」の気(生命エネルギーの一種)の働きによるものだと捉えます。その気が弱いと、消化不良や胃もたれ、膨満感、下痢、軟便などの症状が現れます。
加えて、本来は下へ向かう消化器の気の流れが逆になると、ゲップや呑酸(酸っぱい物がこみ上げてくる)、胸やけといった逆流性食道炎の症状が生じると考えます。
さらに脾の昇清(しょうせい)作用(吸収した栄養を全身に送る作用と、内臓を正常な位置に維持する作用)が減弱すると、胃の降濁(こうだく)機能(消化された飲食物を下の小腸へ送る働き)に影響し、おなかの膨満感や食後の胃もたれといった症状とともに、下痢や軟便などの症状が現れます。
このような状態が続くと、脾胃の昇挙(しょうきょ)の力(胃腸を上に持ち上げる作用)が失われます。そして、中気下降(気の不足によって体内の正常な位置に胃腸を維持できなくなった状態)となり、慢性の下痢や内臓下垂などの症状を呈するのです。
西洋医学では、主に胃酸の分泌量を抑える薬を治療に用います。こうした薬を長期投与すると、消化力の低下が引き起こされることがあり、胃もたれや膨満感などの症状が強くなる患者さんがいます。特に高齢者は、胃腸虚弱の原因になることもあります。
漢方医学の治療では、「胃酸を中和する」「胃の気が上へ流れるのを抑える」「胃の働きや動きを強くして、腸へ送り込む力を強くする」といった、胃腸機能のトータルバランスを整える漢方薬を使用します。下に、その主な薬をまとめたのでご参照ください。
逆流性食道炎と診断がついて、西洋薬で症状や体調が改善しない人は、漢方薬がお勧めです。とらえ方やアプローチのしかたが異なるので、効果が期待できるでしょう。
ただ、口当たりが苦く、飲みづらいと感じるかもしれません。人によっては、即効性を感じられないこともあります。
逆流性食道炎の治療に使われる代表的な漢方薬
半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)
生薬構成
半夏(はんげ) 、黄芩(おうごん)、甘草(かんぞう)、大棗(たいそう)、人参(にんじん)、黄連(おうれん)、乾姜(かんきょう)
「気」が上から下に飲食物を運ぶ流れを助ける。半夏、大棗、人参、乾姜は胃腸パワーを上げる働き、黄連と黄芩は消炎作用がある。半夏が胃の中にたまった物を腸に排出する力を高めて、甘草が生薬の働きを1つにまとめることで、胃の排出を促進して胃酸逆流やゲップを抑える。
安中散(あんちゅうさん)
生薬構成
桂皮(けいひ) 、延胡索(えんごさく)、牡蛎(ぼれい)、茴香(ういきょう)、甘草(かんぞう)、縮砂(しゅくしゃ)、良姜(りょうきょう)
特に胃酸の分泌が多い人の胃痛に使われる。やせ型で体力が低下し、腹部の筋力がない人の胃痛や胸やけ、吐き気、食欲不振などにも用いられる。神経質な人に向く薬とされていて、ストレスによる胃付近の膨張感や不快感にも利用される。
牡蛎と甘草以外は胃を温める働きがあり、精神神経性の消化器疾患に効果が期待できる。桂枝、茴香、縮砂、良姜は胃の機能促進に、延胡索は鎮痛に、牡蛎は胃酸を中和し鎮静に働く。良姜は生姜と似た作用があり、鎮痛効果作用がより高い。
複数の症状や既往症の治療内容も踏まえたうえで処方
漢方薬を利用するときは、ぜひ医師の診察を受けてください。
また、漢方薬を処方していても、なかには漢方医学が専門ではない病院があります。そうした病院に通院して症状が改善しないときは、漢方専門の病院に通院することをお勧めします。
受診せずに、市販の漢方薬で済まそうとするのはお勧めできません。というのも、漢方薬は本来、患者の症状を診て生活習慣などを伺い、複数の症状や既往症の治療内容も踏まえたうえで処方します。
人によって「証(しょう)」(体質や症状を示す指標)が異なるので、症状だけで、どの漢方薬を服用すべきかは決められないのです。
また、漢方薬はいくつかの生薬をミックスして作られますが、メーカーによってその配合量が異なります。医療機関では、患者の症状を診たうえで各メーカーの薬がどんな配合なのか考慮して、その人に適した漢方薬を処方します。
診療では、ストレスなど薬だけで対応しきれないことに対してアドバイスもします。こうしたことから、的確な漢方治療には、専門知識のある医師に判断してもらうことが重要です。
衰弱していたのが見違えるほど元気に!
ここで、漢方治療を受けて逆流性食道炎が改善した患者さんの症例を紹介しましょう。
Aさん(55歳・女性)は、逆流性食道炎と診断されて、長年プロトンポンプ阻害薬(PPI製剤)などを服用していました。そのためか、萎縮性胃炎の所見がありました。
カレーや脂っこい物を食べないなど食事に気をつけて、睡眠時には枕を高くして寝ていましたが、胸やけが治りません。ゲップがよく出ていて、疲れやすいようでした。なかなか症状が改善しないので、知人の紹介で当院に来院されたということでした。
そこでAさんには、半夏瀉心湯や安中散を処方してPPI製剤と併用してもらいました。すると2週間ほどで、天ぷらを食べると胸やけがひどくなることがあるものの、症状は改善しました。
さらにPPI製剤を中止してからは、胃もたれが軽減して食欲がわき、元気になりました。その後もおおむね順調であり、快適な生活を続けています。
Bさん(85歳・女性)は、胃カメラ検査で、食道や噴門部に赤みがあることが判明してからは、PPI製剤を服用していました。
その後、食後に胃が苦しいと感じるようになりました。しだいに食は細くなり、体力が低下。なかなか改善せずに衰弱していくことに不安を抱えて、当院にいらっしゃいました。
診察すると、Bさんは舌炎になっていました。舌は炎症が起こって真っ赤。乾燥していて唾液がほぼ出ない状態です。食べるのも話すのもつらい状態で、胃の働きは弱っていました。
Bさんは脾胃の力が弱くなる年齢です。加えて薬で胃酸を抑えていることで、食事がとれなくなり、栄養失調で体が弱っていると考えました。そこで、半夏瀉心湯や安中散などを処方して、PPI製剤と
併用してもらいました。
すると2週間後には元気になり、笑顔が見られました。食事はよくとれて、舌のヒリヒリした痛みが消失したそうです。
その後、PPI製剤を中止して漢方治療を6ヵ月継続したところ、Bさんは見違えるように元気を取り戻しました。本人が身辺整理をしようと考えるほど一時は体が弱っていましたが、漢方治療後は大好きな洋裁を再開できるまで回復したのです。
逆流性食道炎の治療は、PPI製剤と漢方薬による治療が適しています。漢方治療は食道や胃の下に送る働きを改善して、逆流に対する原因治療ができると考えられます。
西洋薬だけで逆流性食道炎がなかなか改善しない人は、ぜひ漢方治療も受けてください。

趣味を再開できるほど回復!

この記事は『壮快』2022年11月号に掲載されています。
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