「年を取ったらもう、自分のことだけ考えればいい」という人もおられますけど、僕は逆に、周りに気を配りたい。プレイとしてね。自分も周りも楽しく過ごすために、気を遣うわけです。本物の認知症になるまで、どれだけボケ倒せるか、いつも考えているんです。また、ボケは余裕の産物なので、心を安らかにしておかなければなりません。これがけっこう、このストレス社会では難しい。【体験談】みうらじゅん(イラストレーターなど)

プロフィール

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みうらじゅん

イラストレーターなど。1958年2月1日京都市生まれ。武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。1997年、「マイブーム」で新語・流行語大賞受賞。2005年、日本映画批評家大賞功労賞受賞。2018年、仏教伝道文化賞 沼田奨励賞を受賞。エッセイスト、小説家、ミュージシャン、評論家、ラジオDJ、編集長、ライター、解説者など幅広い分野で活動。著書多数。

「最近、どう?」と聞かれたら……

もうすぐ65歳になりますが、3年くらい前から、ヒゲを生やしてます。このヒゲが、すこぶる評判が悪いんですよ(笑)。

僕は70年代初頭のロック世代で、ロックを聴いて青春期を送りました。だから、普通というのがいちばんの大敵と考えてしまうんですよね。

だから、年を取ってからも、なるべく普通じゃないことをしたい。還暦を過ぎると皆さん、いつまでも若くありたい、若返りたいと思うようになるじゃないですか。

だから僕は、あえてその逆の老けづくりをしようと思ったんです。頭はなぜか白髪があまり出ないんですけど、ヒゲは白いのが混じってますからね。

つい先日も92歳の親から、「あんたな、ヒゲは……剃ったほうがいい」と、小言をいわれましたからね(笑)。ということは、このヒゲは、今の世の中的には相当アンチなことだということですよね。

案の定、周りにも悪くいうかたがいてね。皆さん、こっちがあえて老けづくりしてるって知りませんからね。「あいつ急に老けたな」って思ってるのでしょう。こちらとしてはシメシメですけどね。

実際に年を取っているのに、若く見られたいと願うのは、やっぱり煩悩ですよね。いろいろ人生経験を積んで、いい年になったら、いつか悟れる日がやってくる……。そう願っているかたも多いのでしょうが、残念なことにいくつになっても煩悩は増えるばかり。

なにしろ、お釈迦様以来、悟った人間は確か世界に6~7人しかいないとか。年を取っただけで、僕らが悟れるわけがない。どうせ悟れないなら、いっそのこと、その煩悩をできるだけ楽しく使いたいですよね。

画像: 「最近、どう?」と聞かれたら……

年を取ってくると、どうしても会話が単調になりがちじゃないですか。久しぶりに人と会っても、「最近、どう?」「いや、もう全然だよ」とワンパターンの一往復で、あとは病気自慢ですかねえ。聞いててもつまんないですよね、それじゃ。

だから、「最近、どう?」って聞かれたら、「オレ、そろそろヨット買おうと思ってさ」と、嘘でもいきなりカマしてみるのはどうでしょうか。

「オマエ、車の免許も持ってなかったんじゃないの、今さら何?」「そろそろって……。ずっと前から考えてたの?」って、その場がちょっとざわつくんじゃないでしょうか?

その瞬間、みんなの頭の中にはいろんなヨットが浮かんでますよ。きっと(笑)。

「若大将が乗ってるようなやつかな?」とか「いや、もっと小型だろ?」って。このひと言でこんなにイメージが広がり、脳の活性化も図れる。しかも、ヨットは買わないわけですから、お金もかかりません。

予定調和にしない会話のために、ネタを仕込んでカマしてみる。煩悩を最大限に生かして、ヨットを凌駕するネタを考えてくださいよ。

「年を取ったらもう、自分のことだけ考えればいい」という人もおられますけど、僕は逆に、周りに気を配りたい。プレイとしてね。自分も周りも楽しく過ごすために、気を遣うわけです。

本物の認知症になるまで、どれだけボケ倒せるか、いつも考えているんです。ツッコミと違って、うまいボケをするには訓練が必要です。あえてボケに回るのは、ボケ予防になるんじゃないでしょうか? 周囲も楽しくなれますしね。

「比較三原則」と「老いるショック」

また、ボケは余裕の産物なので、心を安らかにしておかなければなりません。これがけっこう、このストレス社会では難しい。年を重ねると、とかくシリアスになりがちじゃないですか。体にはあちこちガタがくるし、1人の時間が増えて余計なことを考えちゃう。

僕は「比較三原則」と呼んでいるんですが、自分と比べちゃいけないものが3つ! 他人と親と過去の自分。努めて比べないことです。「比較三原則」、心の平安のために、覚えておいてください。 

還暦以降、僕が頻繁に口にするようになったのが、「老いるショック」という言葉です。関節が痛いとき、ひざや腰を指差して、「老いるショック!」と声に出していうプレイです。

同世代の皆さんならご存じでしょうが、なつかしのクイズ番組『タイムショック』のように、「ショォ~ック」の部分を強調すると、なお陽気さが出ていいでしょう。老いをみずから宣言し、笑っていこうという提案です。

この言葉自体は20年ほど前に思いついたんですが、実際自分に老いるショックが来る日を待っていたのです。自分が実感してからでないと、他人にも勧められませんからねえ(笑)。

今は、誰もが認める高齢者に近づきましたから、1日いくつ「老いるショック」を稼げるか数えています。

探し物が見つからないのも、典型的な老いるショックですよね。

先日、読みかけの文庫本が見つからなくて終日探したんですが、翌朝、冷蔵庫を開けたらチーズの横で文庫本がキンキンに冷えていました(笑)。そのときは文庫本に向かって小さく、「老いるショック」といっておきました。

周りから、「大丈夫?」と聞かれたら、「ああ、平気平気。老いるショックだもの」と答える。ここは、ぜひ「だもの」をつけていただきたい。「にんげんだもの」的にね。

こんなふざけた受け答えを努めてしていれば、自分も相手も落ち込まずに済むんじゃないでしょうか。

死ぬ間際にいう言葉を毎晩声に出して練習!

これまでも僕は、困ったときの呪文をいろいろ提案してきました。その1つに、「そこがいいんじゃない!」という言葉があるんです。

何を見ても、すぐ「つまらない」という人がいますでしょ。つまらないといった瞬間に、もっとつまらなくなってしまうことに、気づいていらっしゃらない。

だから、「そこがいいんじゃない!」という呪文を挟むんです。つまらないと思った瞬間に、「そこがいいんじゃない!」といい張る。すると、「つまらないところが、またよい」と、頭が誤解するんです。そういう自分洗脳のクセをつけておけば、つまらないことが減るんじゃないかなあ。

昔は、還暦まで生きることがすごく珍しかったから、みんなでお祝いしてたわけです。でも考えてみれば、実は今も変わらない。そこまで生きてこられたのは奇跡みたいなもんですよ。

だから、いつ死ぬかわからない前提で生きていく。そういう心持ちでいるなら、将来のことをアレコレ心配してもしかたないじゃないですか。ここは、「還暦過ぎたら、いつ死ぬかわからない」って、書初め用の長半紙に大書して、床の間に飾っておくといいですよね。

画像: 死ぬ間際にいう言葉を毎晩声に出して練習!

煩悩が、「家で死にたい」とか「ぽっくり逝きたい」とか、いろいろいってくるでしょうが、こればっかりは誰しもどうなるかわからない。

ただ、死の間際、最後に何をいうかって大事じゃないかと思うんです。死に際に、どんな言葉を発するかで、その人の人生の色合いがガラリと変わるんじゃないかなあ。

死に際にいい言葉を残せたら、偏屈だった人でも、かなり印象が変わると思うんですよ。最後に人生のつじつまを合わす気持ちでね。

でも、最後に何をいうか決まっていても、本番でちゃんといえるかどうかわかりませんから、僕は数年前から練習を始めたんです。

はじめは心の中で思うだけだったのですが、それだと、いざというときに口から出てこないおそれがある。なので、今ではちゃんと声に出すようにしました。 

毎晩、寝る前に「あー、楽しかった!」といってるんです。

小学生のころ、夏休みに友達と遊んで、メチャクチャ楽しかったときってあるじゃないですか。「あー、楽しかった!」って、思わず口について出るような。まさに至福の一日だったわけですよ。

そんな「子供時代の至福の一日」のひと言を、死に際に再現したい。それができるようにね。たとえ枕もとに親戚一同がいなくてもね、「いい人生だったんだ」と、最後のひと言で最後の自分洗脳を。そんなエンディングにしたいんですよね。

還暦を過ぎたら意見はいわない

それから、年を取ったら、できるだけかわいい人になりたいですね。これは、少し説明が必要かもしれません。

年を取ると、謙虚さがなくなりがちですよね。会社でいい地位までいって引退した人が、リタイア後も命令口調だったりするようにね。あと、やたら正義感を振りかざして怒ったり、説教したりするのも周りの迷惑になります。聞かされる側はたまりませんからね。

でも、長年のクセが抜けない。どうしたらいいのか。

画像: かわいい人になりたい

かわいい人になりたい

ここは努めて、意見をいわないことです。

還暦で人は赤ちゃんに戻るといいます。赤ちゃんはうんちをしても、「うんち、うんち」と見たまんまをいうだけです。だから、かわいい。

でも赤ちゃんが「うんち、くせえから早くオムツ替えろ」とかいってごらんなさい。「こいつ、なんだよ、エラソーに」ってことになりますよ。

還暦を過ぎたら、できる限り意見はいわない。単語の羅列だけにすると、周りから好かれると思いますよ。

嫌いなオクラを夕食に出されても、「わしゃ、オクラは苦手なんじゃ。何度いったらわかる!」なんていわない。出してくれたかたに悪いじゃないですか。そんなときは見たまんま、「お。オクラだ」で我慢。

頭の中で思うだけじゃなく、うれしそうな声でいうとなお、脳がだまされます。しまいには「オクラ、好きかも」って。

ここを変えるだけで、全然違ってきますよ。文句ばかりの人が突然、単語だけでしょ。周囲からも受け入れてもらえますし、自分もうれしくなります。

「自分の意見を持て」みたいな教育を今まで受けてきましたから、しかたないんでしょうがね。でも、せっかくの余生、文句いったら残りの時間が台無しになります。

遅れていた電車が到着したときも、「おっせえなあ。いつまで待たせるんだよ」などとイラつかず、「お。電車だ」と、うれしそうに迎えましょうよ

そうやって、かわいく老いていき、そして最後に「あー、楽しかった!」といえるよう、そこは煩悩をフル活用して日々訓練するのがいいんじゃないかと、僕は思っています。

画像: この記事は『壮快』2022年11月号に掲載されています。 www.makino-g.jp

この記事は『壮快』2022年11月号に掲載されています。

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