夫の失業をきっかけに「絵を仕事にする」と決心

槙さん原作・絵の絵本
現在61歳の私は、イラストレーター(まきみち)、版画家(槙 倫子)として活動しています。といっても、初めてイラストの仕事をしたのは5年前、56歳のとき。それまでは専業主婦を経て、病院の受付でパート勤務をしていました。
学生のころは、ほかの教科に比べると美術は得意なほうでしたが、特別絵が好きだったとか、しょっちゅう描いていたとかいうわけではありません。40代半ばからは、絵を教えてくれる近所の人のところに、月2回通っていました。でも、そのときも軽い気持ちで、あくまで趣味として描いていただけです。
そんな私が絵を仕事にしようと思ったのは、夫の失業がきっかけです。私も何か生活の糧になる仕事をしなければ……と考えたとき、50歳を前にして、自分には「これが私の仕事です」といえるものが何もないことに気づきました。
とにかく手に職をつけようと、なけなしのお金をはたいてカラーアナリストの資格を取りました。けれども、どうしてもそれを仕事とするイメージがわきません。
ちょうどそのころ、私は「もっと絵がうまくなりたい」と思い、毎日のようにスケッチをするようになっていました。そして気づいたのです。「絵がうまくなるための努力ならいくらでもできる。私は絵を描くことが好きなんだ!」と。
そのときから、「必ず絵でお金をもらう」と決意。夫が失業したときに習い事はすべてやめたので、ひたすら電車に乗り続けて周りの人をスケッチしたり、長時間いられるカフェを見つけてスケッチしたりと、絵のスキルアップに努めました。
もうすぐ50歳という年齢で、何の経験も実績もないことを仕事にするなんて、普通は考えないのかもしれません。今思うと、当時は「明日の生活をどうしよう」というせっぱ詰まった状況で、理性的に考える余裕などなかったのでしょう。絵を描くことだけが、心の寄りどころになっていた部分もあります。
こうして絵を仕事にするという一心で描き続けて6年、あるとき仕事が舞い込んできたのです。
無料で展示させてもらっていた喫茶店で、私の絵がブックデザイナーのかたの目に留まり、装画の仕事をいただくことができたのです。これがイラストレーターとしての初仕事になりました。

版画作品が書籍の装画に採用された
以来、装画や挿絵の仕事を少しずついただくようになりました。
そして4年前の57歳のときに、大阪のギャラリーで個展を開いた際、それを見た出版社のかたが声をかけてくださり、59歳で、私が原作・絵を担当した絵本『くまのボウボウ』(出版ワークス:記事冒頭写真)を出版することできました。
60歳を過ぎたら精神的に自由になった
今は個展で絵を販売したり、装画やイラストの仕事があればやらせていただいたりしています。かといって、それで生活が潤うほどではありません。相変わらず、週2日はパートに出ていますし、定年退職した夫の年金も頼りにしながら生活しています。
それでも本気で絵を描き始めてからは、日々がとても楽しくなりました。今でも毎日、8坪の家の狭いリビングで、時間があれば何時間でも描いています。
よく「60歳は新たな誕生日」といいますが、昨年60歳を迎えて、ほんとうにそのとおりだと痛感しています。肩の荷が下りて、精神的にとても自由になりました。
若い間はほんとうはやりたいことがあっても、いろんな理由をつけてあきらめてしまうものです。でも、60歳を過ぎたら、逆に失敗を恐れず、自分のしたいことを自由に貫く厚かましさが身についてきます。
家が狭い、お金がないなど、いろんな制約はあっても、あきらめずに今できることを追求していけば、できないことなどないと思っています。

ネコをモチーフにしたイラスト作品
絵を描き始めたころのスケッチブックを見返すと、着実に上達していることもわかります。年齢に関係なく、努力は裏切りません。このまま10年先も20年先も、死ぬまで上達し続ける自信が、私にはあります。
今後の目標は、自分が目指している絵のレベルに到達すること。仕事やお金はあるにこしたことはありませんが、好きなことを突き詰められることが、私にとってはいちばんの幸せです。

この記事は『壮快』2022年9月号に掲載されています。
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