長く続けていた仕事の変化になじめなかった
私は、60歳で引退するまでJRA(日本中央競馬会)で「調教師」をしており、関東本部長を務めていたこともあります。
調教師という仕事は、馬主から競走馬を預かって、トレーニングやレースへの出走などの管理を行うのが主な仕事です。
この職種を志したのは、もちろん馬が好きだったということもありますが、会社員という働き方が、「自分には向いていない」と昔から感じていたのも大きな要因です。人づきあいが嫌いというわけではありませんが、顧客や取引先相手に、毎日のように頭を下げたり、ご機嫌を伺ったりするなんてことは正直、嫌でした。
その点、調教師は自営業であり、雇われの身ではありません。逆に「厩務員」と呼ばれる、馬の面倒を見る人たちを雇う立場です。従業員の生活がかかっているので、プレッシャーはありますが、自分に向いている職業だと思っていました。
調教師の定年は70歳です。私がその70歳を待たず、60歳で引退した理由は、ひと言でいってしまえば時代の流れです。仕事内容が大きく変わったわけではなく、職場環境が変わったというのが近いかもしれません。
馬を持つ、すなわち馬主になるということは、金持ちの道楽だとイメージする人も多いかと思います。実際、昔はそうでした。
しかし最近では、道楽よりも投資の側面が強くなっています。それに伴い、調教方針などにものをいう馬主が増えました。現場に、オーナーが口を出す……スポーツチームなどでも聞く話ではないでしょうか。
そういった馬主が求める調教師像は、イエスマンです。現職の調教師のなかには、うまく立ち回りながら、成果を上げている人もいます。馬主が大金を出してくれているのは重々承知しているのですが、私はこの流れになじめませんでした。
こんな状態でしたから、実際に最後の数年間は赤字状態。従業員には、ほかの厩舎に移ってもらい、引退を決意したというわけです。
調教師という仕事は少し特殊で、必ず日本調教師会という組織に所属しなければなりません。そして、60歳を超えてからの引退であれば、そこから功労金が支払われます。いわゆる退職金のような物です。
このお金は59歳以前であれば、一銭も出ないので、60歳になるのを待って引退という形を取りました。このお金を使って、残っていた家のローンを全額返済。子供も末の子が大学卒業間近でしたから、経済的な不安はあまりありませんでした。
初めての土地を訪れるのは新鮮で楽しい!

畑仕事を楽しんでいる佐藤さん
とはいえ、年金受給開始まではこの時点であと5年。妻はもっと先ですし、年金の金額自体も、会社員を続けていた人に比べて心許ない額です。「まだまだ体は動くので働こう」と思ったとき、目をつけたのが運送業でした。
運送業なら配達がメインなので、煩わしい人づきあいはあまりありません。また私の場合、運ぶ先も個人宅ではなく、店舗や公共施設などがメインです。
荷物はフリーペーパーや新聞、食材、電子機器などさまざまですが、軽ワゴン車で運ぶので、あまり大きな物や重い物は積めません。そのため、体の負担が少ないことも助かっています。ちなみに、荷物が多いときは妻に手伝ってもらうこともあります。
この仕事を始めてよかったのは、端的にいうと休めるようになったことです。
前職の調教師は、基本的に休日は週に1日。土日は競馬開催のため休めないどころか、地方出張も少なくありません。月曜日が休日ですが、それも牧場の視察やつきあいのゴルフなどがあり、家でゆっくりできる日は月に1~2日程度でした。
現在の仕事は時期にもよりますが、休日は週2~3日程度。自分の時間が取れるようになったので、以前から興味があった畑仕事に精を出しています。前職を辞めてからジャガイモやピーマン、トマト、ナス、キュウリ、コネギ、ミズナなどいろいろな野菜を庭で収穫しました。ビワやミカン、サクランボなど果物も育てています。
また配達は関東全域、ときにはその先にも足を運ぶので、初めて訪れる土地が多いことがとても新鮮です。時間に余裕があるときは、仕事を終えてから妻と観光を楽しむことも少なくありません。特に妻は御朱印集めが好きなので、いろいろな場所を回れてうれしいようです。
3人の子供が皆家を出てしまった今、私も仕事で家を空けっ放しでは寂しいとのことなので、そういった面からも今の仕事を気に入っています。
前職が収入の安定しない自営業だったため、一概に経済面を比較することは難しいですが、赤字を垂れ流しながらやりたくない仕事をするよりも、今の仕事に切り替えてよかったと思っています。
ちなみに今も自営業扱いなので、車をはじめ、仕事に必要な物を経費扱いとすることが可能です。確定申告をする必要はありますが、これもメリットの1つといえるでしょう。
妻が65歳になるまで、あと3年は今の仕事を続けるつもりです。事故に気をつけつつ、自分の体の調子を鑑みながら、いつまで続けるかを考えていきたいと思います。

この記事は『壮快』2022年9月号に掲載されています。
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