解説者のプロフィール

亀田高志(かめだ・たかし)
株式会社健康企業代表。1991年産業医科大学医学部卒業。日本内科学会認定内科医、日本医師会認定産業医。大手専属産業医、産業医科大学講師を経て、2006年から(株)産業医大ソリューションズの創業社長を務める。2016年に退任後は、健康経営や働く人の健康確保対策の普及・啓発活動に注力。年齢にかかわりなく働くことを支援する、日本産業衛生学会エイジマネジメント研究会世話人も務める。
働くことでフレイルを予防し脳を活性化!
1980年代、定年は55歳でした。バブル崩壊後に、60歳定年制が定着。2000年以降になると、65歳まで働くという流れが始まりました。そして、2021年4月、改正高年齢者雇用安定法が施行され、70歳までの就業機会の確保が企業の努力義務となりました。
将来は75歳までの就労へと続くと思われますが、皆さんは定年以降の働き方について、どのようにお考えでしょうか。
日本人は、欧米に比べてもともと年齢を気にし過ぎる傾向があります。例えば、還暦を1つの区切りと捉えることが、本人の精神的なダメージとなるケースが少なくありません。役職を解かれ、職を辞した自分は、「もう終わってしまった人間だ」と感じてしまうのです。
一方、アメリカには年齢による定年はありません。アメリカの働き方は、いわゆる「ジョブ型雇用」と呼ばれるもので、雇用される側と雇用する側の合意があれば、何歳まで働いてもかまわないというスタイルです。このジョブ型雇用が、今後は日本においても広まっていく可能性は高いといえます。
では、60歳を超えても仕事をすることには、どんなメリットが考えられるでしょうか。
WHO(世界保健機関)は、健康の定義について、「肉体的、精神的、社会的に完全に良好な状態にあること」と述べています。
働くことによる肉体的なメリットとは、いうまでもなく、頭脳を使い体を動かすことがもたらす抗加齢効果です。
65歳や70歳といった年代で、家にこもりきりなってしまうと、フレイル(加齢により心身が老い衰えた状態)に陥るリスクが非常に高くなります。
個人差はあるものの、60代以降、加齢による影響は増していきます。活動や運動の不足という悪条件が加われば、加速度的に心身の衰えが進みます。そして、それが認知症や要介護状態へとつながります。
働くとなると、通勤が必要となるケースが多いでしょう。バスに乗り、電車に乗り、駅の階段を上り……否応なしに体力を使います。また周りの状況にも気を配るため、記憶したり反応したりするでしょう。もちろん、仕事自体からも心身が刺激され、フレイルの予防や脳の活性化につながります。
働くことは、精神的な健康にも一役買います。仕事があるということは、職場から必要とされているということです。この感覚が精神面での安定をもたらしてくれます。
人間は、孤独が不得意です。家に引きこもっていると、精神的に追い詰められてしまうでしょう。仕事をすることで、その不安が払拭されます。
これは、社会的な健康ともリンクしています。社会生活に適応し、対人関係なども充実すれば、その人自身にとっての活力の源となります。
また、経済的な側面も、社会的な健康に入れてよいかもしれません。支給される年金だけで、充実した生活を送れる人は多くないかもしれません。生活には困らないまでも、趣味や旅行に十分にお金を使える人は少ないのではないでしょうか。
定年後も働いて、お金を稼ぐ手段を確保することで、経済的な余裕を感じられることも、社会的な健康を支える重要な要素となりえます。
ここで述べた要素はすべてつながっています。私たちは、60歳を過ぎても働くことを通して、肉体的にも、精神的にも、社会的にもよい状態を保つことができます。それが、健康寿命を延ばすことにもなるでしょう。

働くことは健康にとって有用
これまでの知識や技術を活かした仕事がお勧め
もちろん、60歳を超えて働くことの注意点やリスクがないわけではありません。
第一に注意点として挙げたいのは、加齢に伴い、病気に直面する確率が非常に高くなる点です。
50~70歳の間に、男性の場合は約5人に1人、女性の場合は6~7人に1人が、がんの宣告を受けるとされています。
60歳を超えて働くことががんの直接の原因とはなりませんが、がんの診断を受ければ、一時的に働けない状態に追い込まれるおそれがあります。
一生の間に日本人の2人に1人はがんになるのですから、自分だけはならないとはいい切れません。ですから、働きながら、がん対策はできるだけしておいたほうがよいのです。
がんは早期発見が重要なので、がん検診を定期的に受けることがポイントとなるでしょう。バランスよく食べ、お酒の飲み過ぎやタバコを避けるなど予防に努めることも忘れずに。
仕事が忙しくて不摂生になって、気づくのが遅れたり、その結果がんが進行したりするというのは避けたいところです。
第二に、労働災害のリスクが挙げられます。最も多いのが、転倒によるケガです。
年を重ねると筋力や柔軟性が衰えて、男女とも、よく転ぶようになります。皆さんは、前につまずくイメージかもしれませんが、後頭部を地面に打ちつけることも少なくありません。
こういった事故は、製造業や建設業で多いのは確かですが、普通のオフィスや在宅勤務でもあることです。職場だけでなく、通勤途中でも起こりえます。階段などで転ぶと、ほかの人を巻き込んでケガをさせてしまうケースも考えられます。
視力の低下でも、転倒リスクが高まります。老眼で近くが見づらいだけでなく、暗い場所に目が慣れるまで時間がかかります。夕暮れどきや暗い部屋へ入ったときに、足もとが見えないため、転んでしまうのです。
転倒予防のためには、安全に対する意識を高めることが大事です。ちゃんと下を見て足を出すとか、階段では手すりにつかまって歩くとか、そういった心配りをすることで、ある程度は転倒を防げるはずです。
夏場の熱中症にも注意が必要です。加齢によって、暑さに耐える力が弱まっているのに、気温は昔よりも上がっています。今まで大丈夫だったと過信せず、適切な水分や塩分の補給を心がけましょう。

通勤途中も要注意
第三に、職場の人間関係、特に世代間ギャップという問題が生じがちです。
世代によって、物の考え方、とらえ方は大きく異なります。加えて、高齢者は耳の聞こえが悪くなりがちです。そういった事情が重なると、若い世代とのコミュニケーションがうまくいかないことがあります。
現在の高齢者は、年功序列の社会で生きてきました。このため、年長者が尊重されて当然という意識がどこかにあります。
しかし、その考えはよくありません。私は、これからは年長者が若い人の考え方に合わせるべきだと考えています。残念なことに、それができないかたがとても多いのです。「老いては子に従え」といった心持ちで、若い人を尊重しましょう。
このように、働くことはメリットばかりではありません。これらを踏まえつつ、自助努力を怠らずに安全を確保しながら、働き続けていただきたいのです。
60歳を迎えて、これまでの仕事とは違ったジャンルの職種にチャレンジするかたが、意外に多くいます。しかし私は、ご自分が培ってきた知識や技術を活かせる仕事を選ぶことを勧めたいと考えています。
培われた熟練の技術があったり、特定の知識があったりするなら、それを踏まえた仕事がよいのではないでしょうか。職場からも重宝されますし、将来AIに取って換わられることも少ないでしょう。
もちろん、新たな資格を取得することを否定するわけではありませんが、それだけでは不十分です。新たな資格を使って成功できるかどうかは、自分を売り込み、顧客を満足させる力にかかっていることを、肝に銘じておきましょう。
今まで何もしてこなかったから遅いということはありません。生涯現役で過ごすためにも、自分に何ができるのか、あらためて見つめ直すところから始めてはいかがでしょうか。

この記事は『壮快』2022年9月号に掲載されています。
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