いわゆる「怒りっぽい高齢者」の多くは、小さい頃からの心理的未解決な問題が心の底に山積みになっている。解決法は、正直に「心の履歴書」を書くことにある。自分の過去の体験やそのときの思考、感情を思い出して紙に書く。過去の自分を清算して「今を生きる」ということだ。〈人生を豊かにする心理学 第15回〉【解説】加藤諦三(作家、社会心理学者)
解説者のプロフィール

加藤諦三(かとう・たいぞう)
作家、社会心理学者。東京大学教養学部教養学科卒業後、同大学院社会学研究科修士課程修了。東京都青少年問題協議会副会長を15年歴任。2009年東京都功労者表彰、2016年瑞宝中綬章を受章。現在は早稲田大学名誉教授の他、ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員、日本精神衛生学会顧問、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。近著『不安をしずめる心理学』(PHP新書)が好評発売中。
怒りに隠れた気持ち
些細なことで怒りだす、何の前触れもなかったのに、突然烈火のごとく怒鳴る……。そんな人を見かけたことはありませんか? こうした人の怒りの原因は、実は今ではなく、過去の経験に潜んでいることが多いのです。今回は、そんな「怒りの原因」に関するお話です。
幸せな人の共通点の一つに、よい人間関係がある。このことは、さまざまな調査を見ても明らかだ。
ただし、一口によい人間関係といっても、重要なのはその内容である。
岡山県で、娘が母親を包丁で殺害する事件が起こった。これを報じたメディアは「母親の手伝いをよくしていたはずのよい子が、なぜ?」と騒いだ。
別の事件では、16歳の子どもが両親を毒殺した。報道によると、この親子は「けんかもしない仲よし家族」であったという。
こうした事件が起こると、メディアはよく「けんかもしない、何の問題もない家族」と報じる。「取材を進めれば進めるほど、疑問は深まるばかり」と言う。
しかし、これらの解説は大間違いである。けんかもしない家庭は、心理的に大問題なのだ。
けんかをしたら簡単に壊れる関係だから、一切の感情を抑圧し、我慢する。すなわち「けんかができない関係」であったのだろう。
心の中に表現されないままに慢性化する怒り
ハーバード大学図書館で読んだ『親しい敵』という本に、「1日1回夫婦げんかで医者知らず」という格言があった。これは、無理をせず自由に生活している夫婦は、心身ともに健康なことを示している。
親子関係でも、同じことが言える。しかし、先の問題を抱える親子は「保護と迎合の関係」にあり、その中で子どもは「無理をする」ことで代価を払っているという(※)。
※ マイケル・アーガイル著『The Psychology of Happiness(幸福の心理学)』(Methuen & Co.LTD London&New York、1987年刊、P124)
もし、前述の事件を起こしてしまった子たちが、親への不満や怒りなどを抑え込んだまま成長し、大人になって結婚したらどうなるか?
この問いはつまり、そこまで一切の感情を抑圧した状態で大人になったらどうなるか? ということである。
抱えている不満や怒りが無意識に追いやられ、自覚がなかったとしても、その怒りは誰かを対象に置き換えられる。そして、他人はそうした無意識の怒りに反応する。だから、隠された怒りを持っている人は、笑顔を作っても好かれない。
他人の何気ない言葉が、隠された怒りを持つ人の「過去から蓄積された憎しみ」に火をつけてしまうことがある。些細な失礼だけで、怒りが収まらないこともある。
その場に不釣り合いなほどの激しい怒りが表現されたとき、その人の中に過去からの怒りの抑圧がある。特に、小さい頃から敵意を無意識下で抑圧していくと、敵意がその対象から解離して一般化する。そうなると、もう誰も彼もが憎らしくなる。
敵意が慢性化すると、怒りも心の中に表現されないままに慢性化してくる。そして、その人は「すぐに怒る性格」ということになってしまう。
彼らは、特定のある人に怒っているのではない。誰であっても怒りの対象になる。たまたま怒りの導火線に火をつけた人に対して、それまでにたまった怒りを爆発させる。
さらに、怒りが慢性化しているから、常に怒っているし、一度怒るとちょっとやそっとのことでは怒りが収まらない。
心理的に健康な人は、そんな人を見て「何であんなことで、あそこまで怒るのか?」と不思議がる。特に、長年の怒りが蓄積された高齢者の記憶に凍結された恐怖感や怒りは、なかなか理解できない。
正直に「心の履歴書」を書く
何かに対して怒るのは、人間の自然な感情だ。しかし、隠された怒りを持つ高齢者の場合、怒りの原因への反応がはるかに大きいことが問題である。
こうした、いわゆる「怒りっぽい高齢者」の多くは、小さい頃からの心理的未解決な問題が心の底に山積みになっている。企業で例えるならば、粉飾決算、債務超過で、倒産しているところである。
何でもない日常会話のような言葉に対する過剰反応も、想像を絶する蓄積された怒りを、その人が無意識に持っている証拠の一つだ。
相手の態度が、幼児期からの屈辱的な数々の感情的記憶をよみがえらせてしまう。ただ、本人にその意識はないから、そのときの相手に向かって怒りを吐き出している。
特に、高齢者で、小さい頃から怒りを無意識に隠してきた人は、周りの人皆が嫌いになっていることがある。
そうした人は、漠然とした敵意を、世の中の人々に持っている。また、敵意とまではいかないが、広範囲にわたって慢性的な不満を持っている人もいる。
つまり、その人の物事の認識を、無意識にある隠された怒りと嫌悪感が決めているのだ。
こうした過去の再体験は、悩んでいる人が持つ錯覚として、極めて一般的な法則である。その理由は、体は今ここにあるのに、心が過去にあるからだ。
解決法は、正直に「心の履歴書」を書くことにある。自分の過去の体験やそのときの思考、感情を思い出して紙に書く。そして、自分が無意識に持っていた気持ちを新たに学ぶ。学ぶことに、年齢の制限はない。
つまりこれは、過去の自分を清算して「今を生きる」ということだ。これができれば、どんなに心の安らかさを得られるかわからない。

イラスト:中島智子

この記事は『安心』2022年8月号に掲載されています。
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