解説者のプロフィール

中尾俊之(なかお・としゆき)
1947年、東京慈恵会医科大学卒業、同大学病院講師・第2内科勤務。82年、東京都済生会中央病院腎臓内科科長・透析室長を経て、92年、東京医科大学病院腎臓内科科長・透析センター部長。99年に同大学教授。2013年、東京医科大学名誉教授および腎臓・代謝病治療機構代表に就任。望星西新宿診療所院長。日本透析医学会認定専門医、日本腎臓学会認定専門医。
腎機能が低下すると体内で酸の排出が滞る!
重曹は生活のなかで、さまざまな用途に使われています。医療用としては、胃薬として重宝されてきた歴史がありますね。
あまり知られていませんが、私の専門分野である腎臓内科でも、重曹を処方することがあります。重曹がどう腎機能に役立つのか、お話ししましょう。
腎臓は、主に体液のろ過フィルターのような働きをする臓器です。血液をろ過して、必要な物と不要な物を分け、老廃物を尿として排出しています。
腎臓は、尿の生成過程で血液などを含む体液の量と性質、酸とアルカリ(塩基)のバランスを適切に調整しています。「酸塩基平衡」といいますが、この調整は、生命維持において非常に重要です。
水溶液が酸性かアルカリ性かを示す指標となるのが、水素イオン濃度。単位は㏗(ピーエイチ/ペーハー)で、0~14まであり、㏗7が中性です。
私たちの体液は常に、中性に近い弱アルカリ性に保たれています。正常範囲は㏗7.35~7.45と非常に狭いものですが腎臓はその精巧なしくみで酸塩基の平衡を取り、体液の恒常性を保っているのです。
腎機能が低下すると、酸塩基平衡がくずれます。体液がほんのわずかでも酸性、あるいはアルカリ性に傾くだけでも、体にとっては大問題です。
さて、患者さんに重曹を処方するのは、腎機能の低下により体液が酸性に傾いたときです。
私たちが食事をして、栄養素が代謝されるたびに、酸が生まれます。体内に酸が増えると、体液が酸性に傾いてしまうので体はこの酸を、どんどん排出しなければなりません。
とはいえ、健常な人であれば酸の排出は、普通に行われています。炭水化物と脂質から出る酸は、二酸化炭素として呼気から体外に、たんぱく質から出る酸は、腎臓から尿といっしょに排出されます。
二酸化炭素の排出に重要な役割を持つのが、重炭酸イオンです。重炭酸イオンは体液中に存在しており、二酸化炭素と結びつくことで、酸を中和します。
ところが、腎機能が低下すると、特にたんぱく質から生まれる酸の排出が、うまくいかなくなります。「腎機能が落ちてきたら、たんぱく質を控えましょう」といわれるのは、こうしたわけです。
それを防ぐために、重炭酸イオンを補うという手段が取られます。
体液をアルカリ化してバランスを正常に戻す
そこで、重曹の出番です。
重曹の化学名は炭酸水素ナトリウムで、化学式はNaHCO₃です。血漿中では、Naプラス(ナトリウム)とHCO₃マイナス(重炭酸イオン)に分かれて存在します。
重曹には重炭酸イオンが含まれているので、体内に入ると、酸と中和します。二酸化炭素の排出を促して体液をアルカリ化することで、酸塩基平衡を正常に戻してくれるのです。
体液が酸性に傾くと、免疫力が低下して、感染症をはじめさまざまな病気を引き起こす可能性があります。吐き気や嘔吐、疲労感やだるさ、むくみなどの症状も現れます。また、腎機能が低下した分を、呼吸機能がカバーして酸の排出に働くため、呼吸が早くなったり、息が荒くなったりすることもあります。
体液が酸性に傾くことを、「アシドーシス」といいます。ただ、腎臓がよほど悪くならない限り、そうと診断されることはありません。該当するのは、残された腎機能が15%以下の患者さんです。腎臓病が進行すると人工透析治療を受けますが、アシドーシスは透析の一歩手前のレベルといえます。
アシドーシスの患者さんにはもちろんですが、その兆候がある人にも、重曹をアルカリ剤として処方します。すると、吐き気やだるさ、むくみなどの症状が軽減します。透析液の中にも重曹は含まれており、酸塩基平衡維持に役立っています。
こうお話しすると、皆さんのなかには、「では日ごろから重曹を飲んでおけば、血液の酸性化を防げるのでは」と思う人がいるかもしれません。
しかし残念ながら、そうした効能はないでしょう。
というのは、そもそも健康な人は、腎臓が正常に機能し、常に酸塩基平衡が保たれているからです。ちなみに、血液の㏗値は血液ガス分析という特殊な検査で知ることができますが、健康な人は受ける必要も意味もありません。
重曹を飲むと、もれなくナトリウム、すなわち塩もいっしょに摂取することになります。ですから、高血圧で塩分を制限している人は要注意です。少なくとも健常な人にとっては、重曹を飲むことは腎臓の負担になります。
もちろん、胃薬として用法・用量を守って飲む場合は、その限りではありません。
腎機能を最も左右するのは、やはり食事です。塩分やたんぱく質の多い食事を改めることで腎機能の低下を予防できます。腎臓病で重曹のお世話になることのないよう、日ごろから食習慣に気をつけたいものです。

この記事は『壮快』2022年5月号に掲載されています。
www.makino-g.jp