何事も人に頼るとどうしても不安になる。自分の健康も誰かに頼るから不安になる。「自分は老後に病気にならないだろうか」「自分はこれから先も健康だろうか」……。しかし、これらの不安は、「自分の健康は自分で守る」という姿勢になったときに消える。それと同じで「最終的に自分の人生は自分の責任だ」と思ったときにはいろいろな知恵が湧く。自分の人生を多彩な視点から捉えるようになる。〈人生を豊かにする心理学 第11回〉【解説】加藤諦三(作家、社会心理学者)

解説者のプロフィール

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加藤諦三(かとう・たいぞう)

作家、社会心理学者。東京大学教養学部教養学科卒業後、同大学院社会学研究科修士課程修了。東京都青少年問題協議会副会長を15年歴任。2009年東京都功労者表彰、2016年瑞宝中綬章を受章。現在は早稲田大学名誉教授の他、ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員、日本精神衛生学会顧問、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。近著『不安をしずめる心理学』(PHP新書)が好評発売中。

不安をつくり出すのは誰?

「老後」と聞いて、皆さんはどんな印象を持ちますか? 「健康面などで心配ごとが増える」「未来に希望が持てない」。そんな暗いイメージを持った人は、自分自身の先入観に支配されているかもしれません。 今回は、そんな「老後の不安の原因」についてのお話です。

先日、私が病院に行ったときのことだ。私が「体調が思わしくない」と言うと、どの医師も原因として、高齢であることを挙げた。医師いわく「高齢になると、誰でも体の機能は衰えてくる」と言うのである。

しかし私は、この言葉をうのみにして、自分の健康を医師に任せっきりにしてはいけないと思っている。

なぜなら、医師は自分が健康になるためのアドバイザーでしかないからだ。医師が自分を健康にしてくれると思ったら、大間違いなのである。

「自分の人生は自分の責任である」

私が言いたいのは、健康に生きるためには「自分の健康は自分で守る」という姿勢がなければならないということだ。

特に高齢者は、基本的な姿勢として、医師の助けを借りた上で、自分で自分を健康にすることが必要だと考えている。この姿勢がなければ、高齢になってからも健康にはなれない。

ただし、自分の体の調子が悪いときに考えられる原因は一つではない。心と体は深く関係しているからだ。

だからこそ、体の調子が悪いときは医師の助けを借りる。このとき必要なのが、自分で不調の原因を知る姿勢を持つことだ。

自分の体について、自分より医師の方が知っていると思ってはいけない。また、そう思うような生き方をしてはいけない。

体調が悪い原因を突き止めるときに「私の体なのだから、この私が原因を突き止める」という姿勢が大切なのである。

何事も、人に頼ると、どうしても不安になる。自分の健康も誰かに頼るから不安になる。

「自分は老後に病気にならないだろうか」「自分はこれから先も健康だろうか」……。体調のだけでも、いろいろと悩むことがあるだろう。

しかし、これらの不安は、「自分の健康は自分で守る」という姿勢になったときに消える。

「自分の人生は自分の責任である」という姿勢こそが、不安を鎮める。完全に鎮まらないとしても、多少の効果はある。

健康についても、このような姿勢になれば、「こうすれば健康になるのではないか」とか、「これが自分の健康を害しているのではないか」とか、さまざまな視点から、自分の健康を考えられるようになる。

逆に言えば、自分の健康を人任せにすることは、さまざまな視点で健康について考える機会を失うということだ。

それと同じで、「最終的に自分の人生は自分の責任だ」と思ったときには、いろいろな知恵が湧く。自分の人生を、多彩な視点から捉えるようになる。

なぜ老後を不安に感じるのか

今の日本人は、老後について多くの不安を抱えている。どうしてこんなにも、老後が不安なのだろうか。

昔は、老後の不安は今ほど騒がれていなかったし、「終活」という言葉も聞かなかった。しかし今、私たちは老いについてある種の先入観を抱いている

まず「老後を過ごすのはいやだ」というイメージ。実際には老後は心理的に安らかな時期だといわれているのに、こうした考え方にとらわれる人は多い。

私たちはこの他にも、いろいろな偏見を持っている。例えば「若い頃は楽しくて、青春は素晴らしい」という考え。何の根拠もないが、若いことを輝かしくイメージし、高齢を暗くイメージするのである。

しかし、20代は本当に楽しい時代なのだろうか。実際には多くの悩みがあって、理屈から言えば楽しくないはずだ。それに、20代は人生の中でも激動の時期で、つらいのが当たり前と言われることも多くある。

しかし、私たちは、前述のようなイメージにとらわれる。

さらに、中には「年を取ると醜くなる」と思い込む人もいるようだ。ある若い女性は「年を取ってから生きるのが恥ずかしい」と言った。一体、誰に対して恥ずかしいのだろうか?

ポーランドの哲学者・タタルケヴィッチは、青年期と老年期について、次のようなことを説明している。「青年期は、一般に思われているほど幸福ではない。その一方で、老年期は一般に思われているほど不幸でないことが多い。なぜなら、埋め合わせとなるものがあるからだ」。

また、アメリカの『Why Worry?』(※)という本には、次のように書いてある。

※ジョージ・ウォルトン著、加藤諦三訳『今の悩みは無駄でない』 (三笠書房、1993年刊)

──年を取った人は、新しい習慣を身につける力がないように見えるが、それは能力がないからではなく、 先入観のせいだ。

哲学者のエピクロスは、このことに気づいており、著書『メノイケウス宛の手紙』で、こう述べている。「なぜ老後をマイナスにイメージしてしまうかというと、おそらく、全ての悩みがなくなるような力を求めてしまうからだろう」と──。

・・・

「全ての悩みがない」状態と比べれば、老後は悩みのある状態である。それでも、若い頃より悩みの数は減っているはずだ。

それなのに、「老年期はあまり楽しくない」という心の中で描いたイメージのせいで、こうしたことに気づいている人は少ない。これにより、どれほど多くの老人が幸福にならないで生涯を終えているかわからない。

画像: イラスト:中島智子

イラスト:中島智子

画像: この記事は『安心』2022年4月号に掲載されています。 www.makino-g.jp

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