解説者のプロフィール

加藤諦三(かとう・たいぞう)
作家、社会心理学者。東京大学教養学部教養学科卒業後、同大学院社会学研究科修士課程修了。東京都青少年問題協議会副会長を15年歴任。2009年東京都功労者表彰、2016年瑞宝中綬章を受章。現在は早稲田大学名誉教授の他、ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員、日本精神衛生学会顧問、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。近著『不安をしずめる心理学』(PHP新書)が好評発売中。
新しいことに気づく力
年を重ねると、これまでの経験や知識をもとに、物事を判断してしまうもの。しかし、このようなことを生み出す固定観念を捨てて、新しいものに気がつくトレーニングを行うことが心身の健康維持につながるのだそうです。今回は、そんな「新たなことに気がつく」トレーニングについてのお話です。
「マインドフル」な状態であるメリット
ハーバード大学のエレン・ランガー教授は、半世紀近く付き合いがある友人だ。
彼女は「私たちがここ20年で行ってきたリサーチを見ていくと、マインドフルな状態(今の自分の経験や思考をありのままに感じられる状態)によって、肉体的・心理的な健康状態を高められることがわかる」と言っている。
では、彼女の研究グループが実際に得た、いくつかの証言を紹介しよう。
マインドフルな状態になると注意力や記憶力が増し、自分自身を見つめ直す機会も増える。さらに、独自の発想で何かを作り出す独創力や、新しいものを生み出す創造力、そして、肯定的な気持ちも高まる。
加えて、マインドフルな状態によって、自尊心も高まる。そのため、アルコール依存症や燃え尽き症候群などに陥るリスクも減るのだという。
彼女の言う「マインドフルな状態」とは「さまざまなものの見方が数限りなく存在するということを、常に認識している心の状態」だと言ってよい。
エレン・ランガー教授は、マインドフルな状態と健康について四つの実験を行い、その一環として老人ホームを訪問した。そして、高齢者の人たちに「マインドフル・トリートメント」という治療を行った。
マインドフル・トリートメントとは?
今まで気づかなかったものに気づけるようにするトレーニング
マインドフル・トリートメントとは、高齢者に知能を使う必要のある課題を与えたり、瞑想法を実行したりして、柔軟かつ新しい思考方法を指導するという治療法だ。
この実験でも、老人ホームの入居者たちを新しい物事にさらすことで、今まで気づかなかったものに気づけるようにするためのトレーニングを行った。
このトレーニングの後、彼女は何ヵ月か後に、該当する老人ホームを再訪した。すると、どの研究でも、マインドフル・トリートメントを受けた人たちの方が長生きをしていることがわかったのだ。
さらに、関節炎が減ったという結果も出た。関節炎の患者に知的活動を楽しませる体験をさせたところ、生化学的変化(血液の沈降速度の変化)が見られたのである。
新しいことに気がつくだけでこんな結果が得られるというのは、非常に驚くべきことだ。
マインドフル・トリートメントを実践してみる
マインドフル・トリートメントは、私たちも実践することができる。具体的に言うならば、日常生活の中で新しいものに気がつく練習をすればよいのだ。
例えば、近所のラーメン屋さんに行ったとき。同じ状況下でも、「このラーメン屋の主人の性格はこうだ」と自然に気がついている人もいれば、気がついていない人もいる。
こういった、今まで自分が知らなかった、見ていなかったものを発見する練習を重ねていくとよい。
そうして、常に新しいことに目を向けていれば、いつか努力をしなくても、周囲のいろいろなことに自然と気がつく。そして、日々の生活も退屈に感じなくなってくる。
この力は、文章を読み取ることにも影響する。例えば、手紙一つもらっても、漠然と読んで捨ててしまう人もいれば、手紙の文章を見て、「この人は自分に好意的な人だ」と気がつく人もいる。
また、同じ本でも、漫然と読む人もいれば、文章の裏にある意味に気がつく人もいる。
後者のような人は、初めから終わりまで「私」という主語が抜けている文章を見たとき、「この人は、どうも責任逃れをするような性格ではないだろうか」と気がつける。
このような、新しいことに常に気がつける生活を送ることこそが、人の精神生活に張りを持たせるのだ。
あなたが持つ「老人」のイメージは?
「老い」について明るいイメージを持とう
ここで、私たちが持っている「老人」のイメージについて考えてみたい。私たちの中には、老人について、否定的なイメージを抱く人も多いのではないだろうか。
さらに、若い人の中には、年をとって、周りから「老いぼれじいさん」「しわくちゃばあさん」などと呼ばれてしまう前に、死にたいと思っている人もいるようだ。
こうしたイメージに従って、老人ホームもまた、否定的なイメージと結びついてしまう。そして、老いと不健康は本来違うことなのに、同じことのように混同されることが多い。
だが、こうした否定的な観念の多くは、単なる「とらわれ」である。老いることを、悲しいことにしている本当の原因は、自分自身の固定観念なのだ。
逆に言えば、老いについて明るいイメージを持てば持つほど、豊かな老年を迎えることができる。そして、心身ともに健康で、充実した人生を送ることができる。
マインドフルな状態になれば、前述のようにさまざまな効果が得られる。最大のメリットは、加齢とともに現れる気分の落ち込みや、自尊心の喪失といった抑うつ症状が軽減することであろう。

イラスト:中島智子

この記事は『安心』2022年3月号に掲載されています。
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