人は、心理的・肉体的に健康であれば、生きることを楽しいと感じる。逆に、心や体が余計なストレスを抱えていれば、生きることがつらくなる。 「単に生きるということだけで喜びである」ということを、十分に知っているならば、人は余計なことにエネルギーを消耗しなくなるのだ。〈人生を豊かにする心理学 第8回〉【解説】加藤諦三(作家、社会心理学者)

解説者のプロフィール

画像: 解説者のプロフィール

加藤諦三(かとう・たいぞう)

作家、社会心理学者。東京大学教養学部教養学科卒業後、同大学院社会学研究科修士課程修了。東京都青少年問題協議会副会長を15年歴任。2009年東京都功労者表彰、2016年瑞宝中綬章を受章。現在は早稲田大学名誉教授の他、ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員、日本精神衛生学会顧問、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。近著『心を満たす50歳からの生き方』(大和書房)が好評発売中。

健康な民族の生活

健康のために、食事や生活習慣を意識する人は多いでしょう。しかし、真の健康とは、体が元気なことだけではありません。今回は、「決してカゼをひかない民族」である、アメリカ・インディアンの生活から、健康について考えます。

私は、『アメリカインディアンの教え』(扶桑社)という本を書いたことがある。その際にアメリカ・インディアン(南北アメリカ大陸の先住民、以下インディアン)の体力や健康を、さまざまな面から研究した。

その結果、彼らは決してカゼをひかず、驚異的な体力を持っていることがわかった。そしてその理由は、どれか一つにあるというよりも、総合的な生活のしかたにあるのではないかという結論に達した。

これは要するに、心と体を含めた全体としての生活、いわゆる「ライフスタイル」が大切だということを指している。

実際に、インディアンの生活の一部を紹介しよう。彼らは常に、おなかを引っ込めて胸を張り、背中をまっすぐにした姿勢で歩く。さらに、鼻呼吸を行い、普段の生活の中で、常に自然と触れ合っている。

注目すべきは、身体面だけではない。彼らは敬虔な気持ちや周囲の人への愛情を持ち、ストレスの少ない生活を送っている。

このことから、インディアンは体と心の健康にいいことを、常に実行していることがわかる。要するに、そうしたものが総合されたライフスタイルこそが、彼らの脅威的な体力の秘訣なのである。

実は、現代人は、こうしたインディアンの健康の秘訣をすでに知っている。しかし、それを実行している人は少ない。

例えば、ある一つの栄養豊富な食材を積極的にとろうとする人。健康には一歩近づくかもしれないが、それだけで必ず健康になれる保証はない。

もちろん、そういったものを食べることに、けちをつけるつもりはない。ただ、ある特定のものを食べるだけで健康が維持されて、体力がつくというものは、めったに存在しないのだ。

体力や健康を維持するためには、食生活はもちろん、運動をして体も動かすことも大切だ。

また、価値観に偏りがない、仕事・趣味・友達との付き合いのバランスがとれているなど、精神面や人間関係の構築も、大きく関係している。

逆に言えば、栄養のある食事を一生懸命とっても、自分の心が不健康なら、意味があるとは言い難い。そもそも、いい薬を一つ服用したり、総合ビタミン剤などを飲んだりするだけで、健康になろうという考え自体が間違っている。

どんなに体に気を使っても、自分の利益だけ求める利己主義者で、周囲に対して漠然とした敵意があり、人が自分より成功することを嫌い、競争意識が強過ぎて、友達もいなくて、社会的に孤立していることは、健康とは言えない。

つまり、体を健康にすることと、心を健康にすることは、同じことだと言える。

・・・

では、心の健康の秘訣は何だろうか。私は次の言葉に、それが示されていると思う。

それは、「単に生きるということだけで喜びである」という、インディアンの言葉だ。

人は、心理的・肉体的に健康であれば、生きることを楽しいと感じる。逆に、心や体が余計なストレスを抱えていれば、生きることがつらくなる。

これについて、心理学者のジョージ・オートン・ジェームスも、次のように述べている。

「しかし人は、健康であればあるほど、娯楽を必要としないものです。(中略)人間は、健康で、疲れていなければ、働いたり、食べたり、眠ったり、ただそれだけで楽しいのです」。

「単に生きるということだけで喜びである」ということを、十分に知っているならば、人は余計なことにエネルギーを消耗しなくなる。

そうすれば、競争意識から来る「あいつがこう言ったことが悔しい」「こいつのこうしたことが許せない」という、つまらないエネルギーの消耗も、「あの人にこういう印象を与えたい」という、無駄なエネルギーの消耗もない。人からどう思われても、どうということがなくなるからだ。

そして何より、人生における要求が少なくなる。自分にも、他人にも、こうしてほしい、ああしてほしいという要求を持たなくなる。

心が満たされていない人は、要求が多い。そういう人は、人と張り合って不要な競争心を持つことで、喜びを得ようとする。

「単に生きるということだけで喜びである」という気持ちになれば、競争で心をすり減らすことも、体を壊すまでがんばることもなくなる。そして、結果的にストレスの少ない生活になり、人に対する不満も減る。

そうなれば当然、漠然とした敵意も将来の焦りも消える。人は不満であればあるほど、いろいろと要求する生き物なのだ

心が満たされれば、人が野原に出たときに思わず走り出すような、体を動かす気持ちになるだろう。そして、自然と歩く姿勢もよくなるはずだ。少なくとも、ネコ背で歩く気持ちにはならないに違いない。

心が健康になれば、体も健康になるし、その逆もある。つまり、心と体の健康は、よくも悪くも、循環するものなのだ。

画像: イラスト:中島智子

イラスト:中島智子

画像: この記事は『安心』2022年1月号に掲載されています。 www.makino-g.jp

この記事は『安心』2022年1月号に掲載されています。

www.makino-g.jp

This article is a sponsored article by
''.