解説者のプロフィール

加藤諦三(かとう・たいぞう)
作家、社会心理学者。東京大学教養学部教養学科卒業後、同大学院社会学研究科修士課程修了。東京都青少年問題協議会副会長を15年歴任。2009年東京都功労者表彰、2016年瑞宝中綬章を受章。現在は早稲田大学名誉教授の他、ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員、日本精神衛生学会顧問、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。近著『心を満たす50歳からの生き方』(大和書房)が好評発売中。
習慣化した考え方
「人からこう言われるから、自分はやっぱりダメなんだ」「他人がそう言うのなら、それが正しいはず」……。このように、他人の評価を真に受けて落ち込んだり、怒りを感じたりする原因は、自分の過去の体験や、影響を受けたものに潜んでいるかもしれません。今回は、そんな「自分の世界の見方」に関するお話です。
ジョージ・ウェインバーグという、世界で最も活躍したアメリカの精神科医がいる。彼の著書では、ある患者の話が紹介されている(※)。
※ジョージ・ウェインバーグ著、加藤諦三訳『プライアント・アニマル ─ しなやかな自分をつくる 過去にとらわれない生きかた』(三笠書房、1981年刊)、P12
57歳の、ひどく落ちこんでいたある男性が来院し、「誰も自分のような年の者を雇ってはくれないだろう」と語った。彼は、簿記の資格を持っており、彼の能力を求めている職場はあるのにも関わらず。
ジョージ・ウェインバーグは、彼の悲しい結論を聴きながら、この男性の言っていることに、主に二つの筋違いの観念があることに気がついた。
第一に、人々が彼を不採用とするのはもっともであり、自分のような、でしゃばりでいい年をした者を、人が軽蔑するのは当然である、ということ。
第二に、彼自身が、自分は仕事ができるかどうかを疑っていたことだ。
これらのことから、この男性には自分をさげすむ「自己蔑視」の傾向が認められた。
ジョージはこの男性に「世界を信じるように」と励まし、就職活動を行うよう勧めた。なぜなら、男性にとって世界を信じることは、仕事に応募することを意味していたからだ。
男性は、ジョージの言う通りに就職活動をし、採用されるに至った。そして、「人々が自分にチャンスを与えようとしない」という考えは間違っており、「57歳という年齢も、自分が考えているほどの年齢ではない」と確信するようになった。
それにより、彼が思い込んでいることを、誰もが感じているわけではないと確証を得た。
・・・
しかし、それでも彼は、自分が仕事をうまくやれるか、依然として不安を持っていた。
その原因は、男性が仕事から2年離れていることかと思われたが、ジョージはそのことよりも、彼の心いっぱいにちらつく面接担当者に対する怒りに注目した。それは、男性が就職活動中に出会った、年齢という理由だけで自分を疎外しようとする、若くて少々俗っぽい面接担当者に対する怒りだ。
この男性の不安の源は、こうした他人の評価ばかりを見て、自分の価値を判断してしまうことにあった。そのため、就職活動に成功しても、自己蔑視をやめることができなかった。
来院時から明らかに変わっていない、この状況を見たジョージには、彼が現在持っている考え方に、過去の出来事や経験が強く影響していることがわかった。
この男性は、いまだに過去の失敗にとらわれたまま、物事を知覚していたからだ。
彼は常に「もし自分の選択が原因で失敗したら、起こり得る最悪のことは何だったのか?」を考えていた。彼にとって、過ちを犯すということは、子どもの時から深刻で、取り返しのつかないものに思えていた。
また、人生の障害を乗り越えられないと感じ、その障害を放置しておくことは、長い目で見たら、結果的に害となるように思えた。「もし、本当に大きな問題になったらどうしよう」という危機感も、ずっと昔から抱いているままだった。
彼は、この世界観を数十年にわたり維持してきた。
そのため、元来誤った概念の上に築かれていても、彼にとって、それは関係ないことだった。誤った概念であっても、それに基づいて考え、行動していれば、彼には正しいものであり続けるからだ。
つまり、男性は自覚がないままに、他人と比べて自分はダメだと思い込み続けていたのだ。
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他人の評価のむなしさを知っているのが、自分で自分の価値をつくる「生産的な構え」の人である。そして、自分の力を用いて得たものが、その人自身の能力である。
自分の能力を生産的に使えるか使えないかが、生きているか生きていないかの分岐点だ。そしてそれが、心理的に健康な人と、常に不安を抱えている人の分岐点である。
この男性の場合は、他人の評価を気にしている自覚がないゆえに、今まで他人が介在しないと存在できない自分を立て直さなかった。このような人は、人でも、ものでも、無意識のうちに自分を不幸にするものにしがみついている。
自分のある人は、自分の能力の中で楽しむ。
自分のない人は、他人の尺度で自分を見ている。
彼を苦しめた真の原因は、他人でも、困難でも、失敗でもない。彼を苦しめたのは、いつも他人と自分を比較して自分をさげすんできた、自己蔑視なのだ。
このような、自分が続けてきた誤った行動や考え方をやめることができれば、意志が形成された時の世界観がどんなものであったかを知るヒントが得られる。心は、自分自身の行動の理由をいくぶんかは受け入れているものだ。
このことは、私たちがすでに受け入れている世界観が正しいかを常に考え、選んでいかなければならないということを意味している。

イラスト:中島智子

この記事は『安心』2021年11月号に掲載されています。
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