プロフィール

藤波辰爾(ふじなみ・たつみ)
1970年6月、16歳で日本プロレスに入門。翌1971年5月9日デビュー。アントニオ猪木、長州力、初代タイガーマスクらの人気レスラーとともに、新日本プロレスのリングを盛り上げる。脊柱管狭窄症の手術を乗り越え、現在も現役でリングに上がる。
ビッグバン・ベイダー戦でヘルニアを発症した
私は、17歳からプロレスラーをしていて、67歳の今も現役を続けています。そんな私のプロレス人生50年のうち、30年は腰痛との戦いでした。
腰に〝爆弾〟を抱えた日のことは、今でも忘れません。それは、1989年6月のことでした。
その当時、身長190cmを超える巨漢の外国人選手、ビッグバン・ベイダーとの試合で、頭上高くに持ち上げられ、バックドロップで腰から上を強くリングにたたきつけられたのです。その瞬間、「ビリビリッ」と電気が走るような痛みを背中全体に感じました。
それが、長年の腰痛との戦いの幕開けになったのです。
試合の翌日、病院で精密検査を受けたら、椎間板ヘルニア(背骨を構成する椎骨と椎骨の間にある椎間板が飛び出した状態)との診断が下りました。
強く安静を勧められたのですが、当時は、「新日本プロレス」の看板レスラーだったので、欠場するわけにはいきません。痛み止めの注射を打ちながら、何試合か出場しました。しかし、痛みは悪化の一途で、結局はベイダーとの試合から1ヵ月後に、休場することになったのです。
その際、手術を勧められていたのですが、「腰にメスを入れたら選手生命が終わるかもしれない」と、これを拒否しました。しばらくは、時間をかけながら他の治療を模索していたら、足のしびれにも苦しめられるようになりました。特に、痛みは耐え難くて、マンションの窓から飛び降りたい欲求にかられたことも……。
希望の光が見えたのは、ある腰痛専門医との出会いでした。
その医師から、「腰の炎症が引くまで安静に」との指示をもらいました。この頃のプロレスラーは、痛みに耐えてなんぼの世界ではありましたが、ものは試しと無理をしないでいると、徐々に快方に向かったのです。
そして、ベイダー戦から1年3ヵ月後に、ようやく復帰します。ただし、根治したわけではなく、それ以降もずっと腰痛に悩まされ続けました。痛み止めの座薬を使いながら、だましだましリングに上がるという状態でした。
その後、腰痛とうまく付き合いながら、新日本プロレスヘビー級王者の座を獲得したり、本場アメリカの人気プロレス団体「WWF」で殿堂入りしたりと、プロレスラーとしての実績を積み重ねることができました。
67歳の今も現役でレスラーでいられる幸せ

藤波さんの腰に残る手術跡
ところが、2015年にそれは起こりました。記者会見の最中に、突然いすから立ち上がれなくなったのです。過去最悪の痛みとしびれに襲われ、足は全く動かなくなりました。
次戦はもちろん休場。病院に運び込まれて検査をしたところ、椎間板ヘルニアに加えて脊柱管狭窄症も併発していることが判明しました。腰椎の4番と5番の骨が神経を圧迫していたのだとか。
すぐに、手術を受けることになりました。
手術は、全身麻酔をした上で、腰を15cm切開し、圧迫している問題の骨を削り、脊柱管を広げるものでした。手術後に削り取った骨を見せてもらうと、両手いっぱいになるほどたくさんありました。
術後1週間は、傷口の保護のために、うつぶせでいなければなりません。食事や排泄もうつぶせです。これが大変、きついものでした。でも2週間もしないうちに、ゆっくりと歩けるようになって、痛みもうそのように消えていたのです。
喜び勇んでリハビリに精を出していら、医師からは「動き過ぎ」と注意されることもありました。聞けば、筋肉でカバーしているから動かせるものの、まだ骨に負担がかかる動きは避けるべきとのことでした。
ちなみに、同じく脊柱管狭窄症に悩む方が多い力士の皆さんは、背中が非常に広いので、手術後に傷口がなかなかふさがらないことが多いようです。私の場合は、そういったこともなく、順調に回復しました。
本当なら最低でも術後3~4ヵ月は静養……という予定でしたが、どうしてもキャンセルできない試合があり、1ヵ月後には再びリングに上がりました。
当然、医師にはひどく怒られました(笑)。

手術後にリングに上がる藤波さん
その後、腰痛は影を潜めていますが、右足にはごく軽いしびれが残っています。動かせるのですが、左足と比べると、自分がイメージしているよりもわずかに反応が遅れるのです。
それでも、脊柱管狭窄症を克服し、現役レスラーでいられるのは幸せです。師匠のアントニオ猪木さんや、同世代の天龍源一郎選手も脊柱管狭窄症に苦しまされており、プロレスラーの宿命の病気ともいえます。
このような苦しみを経験させないためにも、後輩たちには、「痛いときは我慢するな! すぐ治療に行け!」とアドバイスしています。

この記事は『安心』2021年11月号に掲載されています。
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