解説者のプロフィール

加藤諦三(かとう・たいぞう)
作家、社会心理学者。東京大学教養学部教養学科を卒業後、同大学院社会学研究科修士課程修了。東京都青少年問題協議会副会長を10年歴任。2009年東京都功労者表彰、2016年瑞宝中綬章を受章。現在は早稲田大学名誉教授の他、ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員、日本精神衛生学会顧問、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。近著『他人に気をつかいすぎて疲れる人の心理学』(青春出版社)が好評発売中。
心と体の不調
不調を感じたとき、多くの人は真っ先に「体のどこかが悪いのだろう」と思うもの。しかし、真の原因が肉体ではなく、精神にあることも多くあります。今回は、そんな「心と体」にまつわるお話です。
年をとると、体のあっちが痛い、こっちが痛いと不調を訴える人が多くなる。さらに、原因不明の不調に苦しむ人も増える。だが、それは本当に、体そのものの不調なのだろうか。
アメリカには「心と体」の関係について研究した論文が、気が遠くなるほどたくさんある。
そのうちの一つ、『Mind, Body Medicine』(※)という本の13章には、肉体的な原因がないのに症状が表れる、レノーアという女性が登場する。
※ Daniel Goleman, Ph.D., Joel Gurin著“Mind, Body Medicine”(Consumer Union刊,1993)
54歳の看護師・レノーアは、別居していた夫が自殺して以来、頭痛に悩まされ続け、仕事も辞めざるを得なくなった。
あまりにも症状がひどいため、クタクタに疲れたとき以外は眠れない。眠れたとしても、15分もすると、痛みで目が覚めてしまう。
レノーアは、この苦痛から逃れたい一心で、どこかに治してくれる医師はいないかと、毎日探し回った。時には、1日に2人の医師の元を訪れることもあったという。
慢性的な頭痛には、いろいろな病気が原因として疑われる。そのため、医師を替えるたびに数多くの検査を受けなくてはならなかった。
しかし、取り立てて悪いところは見つからない。彼女は、また別の医師を見つけ、同じ検査をくり返した。
最終的に、三ヵ所のペイン・クリニック(痛みを専門とする診療所)に行き、さまざまな薬を処方してもらったが、効果はなかった。
日本でも、医療機関を次々に受診する「ドクターショッピング」という言葉を、よく聞くようになった。
これを行う理由は、どこの病院に行っても、適切な治療をしてもらえないから。
というより、医師自身が患者の言わんとすることを理解してくれていないので、患者は絶望するだけで、次から次へと病院を替えていってしまうのだ。
レノーアもまさにこの状態で、実際、何人の医師に診てもらっても頭痛は治らなかった。
ドクターショッピングをする患者は、日本の方が「誰にも苦しい気持ちを理解してもらえない」と感じていることが多い。
なぜなら、症状の原因が精神的なものなのにも関わらず、肉体的な治療を行おうとする医師が多いからだ。
レノーアのような患者は、海外のメンタルヘルスの専門家には「ソマタイザー(somatizer)」として知られている。
これは、「身体症状の持ち主」という意味で、本人が気づいていない心の葛藤が、身体的な症状として現れている人のことを示している。
ソマタイザーは、ストレスがあることを、無意識の内に身体的な症状として置き換える。
しかし彼らは、症状の原因を心理的なものとは思わず、肉体的なものとして考えてしまう。そのため、感情的な問題に対処しないまま、手っ取り早く体を治療しようとするのだ。
そして、かえって長期間、医師を探し回ることになる。
日本では、この「ソマタイザー」という言葉自体を知らない医師も多いため、双方が根本原因に気づけないまま、診察や治療を続けてしまうことがある。
さて、レノーアの話だが、彼女は結局3年後に心理治療を受け、頭痛の原因であった心の問題に取り組むことができた。
実は彼女は、アルコール依存症の男性と結婚して、30年間夫の暴力に耐えてきた。
ついに夫と別居したとき、夫は「よりを戻さなければ自殺する」と、脅しをかけてきたが、彼女はそれを拒絶した。夫は復縁を迫ったが聞き入れられず、銃で頭を撃って自殺したのだ。
彼女を執拗な頭痛が襲ったのは、その直後だった。
心理治療によって、彼女は頭痛が罪悪感の身体的な表明であることに気づいた。なぜなら、彼女は夫を殺したのは自分だと誤解していたからだ。
当初、セラピストは「夫が死んだのはレノーアの責任ではない」と言って、彼女を安心させようとした。しかし、頭痛はひどくなる一方だった。
そこで最後に、一見矛盾しているように見える方法を試した。レノーアに「あなたが夫を殺したのに間違いない。それならば、何年先までその頭痛で罰を受けるべきか、家で考えてきなさい」と告げたのだ。
レノーアは、その問題を考えているうちに、なぜ自分が夫を捨てたのか、その本当の理由をハッキリと見つけた。長年に渡って夫が暴力を振るってきた上、浮気を続けたからだ。
治療を続けるに従って、彼女の頭痛は軽くなり、ついに症状は完全に消えた。彼女は仕事に復帰し、独身生活の自由を楽しむようになった。
ドクターショッピングをする人は、レノーアのように、誰にも理解してもらえない苦しみに悲鳴を上げている。
医師から「肉体的に原因がない」と言われても、毎日つらいのはつらい。それにも関わらず、この不快な気持ちを理解してくれる医師は、ほとんどいない。
適切な診察と治療を受け、つらい身体症状から抜け出せる人が多くなることを願う。

イラスト:中島智子

この記事は『安心』2021年9月号に掲載されています。
www.makino-g.jp