解説者のプロフィール

長谷川嘉哉(はせがわ・よしや)
名古屋市立大学医学部卒業、医学博士。毎月1000人の認知症患者を診療する、日本有数の認知症専門医。2000年には、認知症専門外来および在宅医療のためのクリニックを岐阜県土岐市に開業。開業以来、3万件以上の訪問診療、400件以上の在宅看取りを実践している。また、歯と脳の関連性に着目し、口腔ケアも積極的に行っている。著書に『認知症専門医が教える!脳の老化を止めたければ歯を守りなさい!』(かんき出版)など、著書多数。
脳への血流と刺激が減り機能が衰える
「歯抜けは認知症の始まり」
認知症の専門医である私は、こう断言します。
というのも、今までの診療経験で、「歯」と「脳」には深い関係があると実感しているからです。私が歯と脳の関連性を意識するようになったのは、「寝たきりの認知症患者さんのにおい」がきっかけでした。
私のクリニックでは訪問診療も行っていますが、寝たきりの認知症患者さんがいる家に行くと、決まって独特のにおいがします。しかし、ご家族の方がどんなに手を尽くして排泄物などの処理をしても、部屋をきれいに掃除しても、患者さんの体をきれいに洗っても、なぜかこのにおいは消えないのです。
ところが、訪問診療の際に、歯科衛生士さんに同行してもらい、患者さんの口腔ケアを行ったところ、このにおいが消えました。
つまり、寝たきりの患者さん特有のにおいとは、「口臭」だったのです。
口臭の原因の8割は、歯周病によるものといわれています。歯周病が進行すると、歯が抜けるのは、皆さんご存じの通りです。そして、歯が抜けると、認知症になりやすくなるのです。その理由として、以下のことが挙げられます。
① 脳への血流が減る
歯の下には、「歯根膜」というクッションのような器官があります。物をかむと、歯は歯根膜に30ミクロン(0.03mm)ほど沈み込みます。そのほんのわずかな圧力により、歯根膜の下にある血管が圧迫されて、血液がポンプのように脳に送り込まれます。
その量は1かみで3.5ml。かむたびに、これだけの量の血液が脳に送り込まれるということになります。つまり、かめばかむほど、脳に新鮮な血液が送られ、脳が活性化されて元気になっていくわけです。

かむと歯根膜の働きで脳に血液が送られ、脳が活性化する。
歯がなくなると、この歯根膜のポンプ機能が働かなくなり、脳に血液が送り込まれる回数や量が減ります。その結果、脳の機能も低下してしまうのです。
② 脳への刺激が減る
カナダの脳神経外科医、ワイルダー・ペンフィールド氏が描いた「ホムンクルス図」というものがあります。これは、脳の中で動作をつかさどる「運動野」と感覚をつかさどる「感覚野」との、体の各部とのつながりを表したものです。

ホムンクルス図。歯や舌を含む口の脳への影響の大きさがわかる。
この図を見ると、歯や舌を含む「口」は、運動野と感覚野のそれぞれ3分の1を占めています。口とつながっている顔まで含めると、なんと半分近くを占めます。これはつまり、口を刺激すると、脳の広い範囲に影響が及ぶことを意味しています。
ですから、歯がない、もしくは歯や口腔内の状態が悪く、十分にかめない状態は、脳への刺激を減らすことにつながり、脳に悪影響を及ぼすわけです。
私のクリニックで、75歳以上の認知症の外来患者さんたちの歯を調べたところ、歯が1本も残っていない「総入れ歯」の患者さんは25%でした。厚生労働省の発表によれば、75歳以上の方の総入れ歯率は18.24%ですから、6%以上も高いことになります。
また、東北大学大学院の研究グループによる、70歳以上の高齢者を対象に行った調査でも、「脳が健康な人」は、残っている歯の数は平均14.9本でしたが、「認知症の疑いあり」と診断されている人では、9.4本しかありませんでした。
また現在では、歯周病菌が、アルツハイマー型認知症の原因となることもわかっています。「歯抜けは認知症の始まり」ということが、これでおわかりいただけたのではないでしょうか。
口腔ケアで認知症状が改善した例も
認知症にならないためには、「歯の定期健診」と「毎日の歯磨き」が必須です。
「私は、歯が抜けてないから大丈夫」
「歯周病ではないから大丈夫」
そう甘く考えていませんか。歯周病は、初期にはほとんど自覚症状がありません。気づいたときには進行し、治療が困難になってしまっていることが多いのです。
「35歳以上である」
「起床時に口内がネバつく」
「口臭がある」
「歯を磨くと出血する」
「1年以上歯科医院に行っていない」
これらに一つでも当てはまる人は要注意。すでに歯周病になっている可能性があります。これを期に、定期的に歯科医院を受診しましょう。口内の状態を見てもらい、状態に合わせてクリーニングや歯石除去、歯周病などの治療をしてもらうことが、歯を守る上ではとても大切になります。
プロによる定期的な歯のケアは、認知症の予防だけではなく、進行の抑制や改善効果も期待できると私は感じています。実際、私のクリニックでも、歯科衛生士さんに、認知症の患者さんの口腔ケアを行ってもらったところ、たった1回のケアで、認知症状が改善した患者さんが、何人も現れています。
全身の健康を守る毎日の歯磨き
日常生活では、歯磨きが大切です。その際にお勧めしたいのが、「両手磨き」です。
まず、利き手で歯ブラシを持って、全ての歯を磨きます。その後、反対の手に歯ブラシを持ち替えて、再び全ての歯を磨くのです。
こうすることで、歯ブラシの歯への当たる角度が変わるため、片方の手だけを使って磨いたときよりも、すみずみまで歯ブラシが届き、磨き残しが少なくなります。

❶利き手で歯ブラシを持って、全ての歯を磨く。

❷反対の手に歯ブラシを持ち替え、再び全ての歯を磨く。
さらに、利き手とは逆の手を使うことで、脳トレにもなります。実際にやってみるとわかりますが、いつもと反対の手で磨くには、かなり頭を使うはずです。まさに一石二鳥の歯磨き法です。
歯周病菌やその他の細菌の塊であるプラークは、食後4~8時間ほどで生成され、放置すると、そこから24時間ほどで歯石になるといわれています。
1日に何度も歯磨きをしている方でも、1~2分でささっと済ませていたのでは、きちんと磨けていない部分が残って、歯石になってしまいます。歯石ができないようにするために、最低でも1日1回は、5分以上かけて、しっかり歯を磨いてください。
また、歯の健康は、認知症のみならず、全身の健康にも大きく影響します。
歯が弱ったり抜けたりして、十分に物がかめなくなると、肉や野菜など、かみごたえのある食べ物を避けがちになり、軟らかい食べ物を好むようになって、ご飯やパン、麺類など、炭水化物の摂取量が増えます。
すると、さらにかむ回数が減って、脳の老化が加速します。食事が偏りがちになるため、免疫力(病気に対する抵抗力)が低下し、生活習慣病のリスクも高まります。
ですから「死ぬまで全ての歯を残す」くらいの意気込みで、日々のケアに取り組んでください。それが、認知症にならず、いつまでも元気に過ごすための、一番の健康法なのです。

この記事は『安心』2021年3月号に掲載されています。
www.makino-g.jp