解説者のプロフィール

西田亙(にしだ・わたる)
にしだわたる糖尿病内科院長、医学博士・糖尿病専門医。広島市出身、愛媛大学医学部卒業、愛媛大学大学院医学系研究科修了。大阪大学での基礎研究と愛媛大学糖尿病内科での臨床研究を経て、2012年愛媛県松山市に、にしだわたる糖尿病内科を開院。糖尿病の予防と医科歯科連携の重要性を伝えるために、執筆活動や全国各地を回る講演活動を行っている。著書に『糖尿病がイヤなら歯を磨きなさい』 (幻冬舎)がある。
▼にしだわたる糖尿病内科(公式サイト)
9割のアルツハイマー病患者の脳に歯周病菌
世界に先駆けて超高齢社会に突入した日本で、多くの人が恐れるのが「認知症」ではないでしょうか。最近の調査によると、今後は2人に1人が認知症を発症する時代になるといわれています。
認知症のうち、最も多くを占め、かつ近年、急激に増えているのがアルツハイマー病です。ですから、認知症対策は、アルツハイマー病を中心に考える必要があります。
アルツハイマー病の治療薬については、10年以上にわたって世界中の製薬会社が開発を目指してきましたが、残念なことに特効薬は、いまだに登場していません。
ところが、そんな状況の中、2019年1月に衝撃的な論文が発表されました。アルツハイマー病の未来をぬり変える歴史的な論文です。
米国はじめ、ポーランド、ノルウェー、オーストラリア、ニュージーランドの大学の共同研究によるその論文は、「9割のアルツハイマー病患者の脳で、歯周病菌が発見された」と報告しています。
歯周病菌もいろいろありますが、今回、アルツハイマー病の人の脳で発見されたのは、「ポルフィロモナス・ジンジバリス」という、舌をかみそうな名前の菌です。略して「Pg菌」と呼ばれるので、以下はこの略称で呼ぶことにしましょう。
Pg菌は、歯周病菌の中でも頂点に君臨する超悪玉菌です。この菌とアルツハイマー病は、どう関係するのでしょうか。
アルツハイマー病は、ひと言でいうと「脳にシミができる病気」です。女性が気にする顔のシミと同じようなシミが、脳にもできるのです。
これをアルツハイマー病の原因と考え、各製薬会社は脳のシミを消す薬を開発してきましたが、十分な効果は出せませんでした。このシミ自体は、アルツハイマー病の原因ではなかったからです。
脳にPg菌がすみ着くと、神経細胞とPg菌との戦いが起こります。その戦いの跡としてシミができることが、今回の論文で明らかになりました。
つまり、このシミはPg菌の存在を示すマーカーのようなものに過ぎず、本当の原因はPg菌そのものだったのです。
歯周病菌の出す酵素が脳を攻撃する
アルツハイマー病は、いろいろな原因が関わって起こります。しかし、9割のアルツハイマー病患者の脳でPg菌が認められたこと、健常者の脳では見られないことから、Pg菌は、アルツハイマー病の非常に重要な原因の一つと考えられます。
Pg菌は、口の中にすみ着く菌ですが、全ての人が持っているわけではありません。
子どもの口の中にはおらず、高校生の頃から、口腔内の手入れが悪いと、Pg菌がすみ着く人が出始めます。そして大人になると、歯周病が進行するにつれて、口の中にPg菌のいる人が多くなっていくのです。
私は、一般の方が対象の講座では、Pg菌の性質をわかりやすく説明するため、よく「吸血鬼ドラキュラ」に例えます。
Pg菌は酸素が苦手で、空気に触れるところにはいられません。そのため、歯周病が進むとともに深くなる歯周ポケット(歯と歯ぐきの間の溝)の奥深くに潜んでいます。この事実は、お日様の光が苦手なドラキュラによく似ています。
歯周ポケットの奥で、Pg菌は血管を破壊して出血させ、その血液を養分にします。まさにドラキュラです。
出血させるためには、歯ぐきや血管を壊す必要があります。そのために、Pg菌は強力な武器を持っています。たんぱく質を分解する「ジンジパイン」という強力な酵素です。この酵素を出せば、どんどん組織を破壊できるのです。
出血は、全身への入り口ができたことを意味します。Pg菌は、自分で作ったその入り口から血液に入り、血流に乗って全身を駆け巡ります。そして、脳に入り込み、ジンジパインという武器で、今度は神経細胞を破壊します。
これがアルツハイマー病の主要な原因の一つだったのです。
欧米各国の研究による今回の論文には、そのことが詳細なエビデンスとともに記されています。

❶超悪玉の歯周病菌「ポルフィロモナス・ジンジバリス(Pg菌)」は、歯周ポケットの奥にすんでいる。

❷Pg菌が「ジンジパイン」という強力なたんぱく質分解酵素を出して、歯ぐきの血管を破壊。

❸血液をエサにしてPg菌が増殖。それとともに、破壊された血管からPg菌が血管に入り込み、血流に乗って全身を巡る。

❹Pg菌が脳まで到達し、ジンジパインを出して脳の神経組織を破壊。これがアルツハイマーを引き起こす。
口中ケアは誰にでもできる認知症予防対策
実はその研究班は、論文発表の前年、研究結果に基づき、アルツハイマー病治療薬の開発に向けた臨床試験の第一段階を、すでに終えています。
その薬は「ジンジパイン阻害薬」といいます。Pg菌の武器である酵素の働きを妨げ、神経組織が破壊されないようにする薬です。
この薬に重篤な副作用はなく、しかも、少人数が対象とはいえ、アルツハイマー病に対するかなりの改善効果があることを確認した上で、今回の論文が発表されたのです。
第2〜第3段階の臨床試験は、2019年から欧米で始まりました。コロナ禍にも関わらず、臨床試験は順調に進行しており、2020年10月には、目標となる約600人の症例登録が完了しています。
臨床試験完了予定は2021年12月ですが、晴れてジンジパイン阻害薬が登場すれば、アルツハイマー病の治療戦略は様変わりすることでしょう。
ただ、そうは言っても、この薬が実用化され、日本で使用できるようになるには、まだ時間がかかります。そこで、この研究成果を元に、誰にでもできる認知症予防策をご紹介しましょう。
それは、日頃から口の中をきれいにし、定期的に歯科でもメンテナンスを受けることです。
すでに歯ぐきからの出血が続いている人は、すぐにでも歯科で治療と指導を受けましょう。それにより、歯を失うリスクとともに、アルツハイマー病の発症リスクを減らせるのです。
なお、Pg菌は、キスなどによって感染するので、パートナー同士で声をかけ合い、双方が歯科に行くことも重要です。
ちなみに、Pg菌が体内を駆け巡るとき、脳以外に関節にも行き、組織を破壊することが、動物実験でわかっています。
将来の展開として、ジンジパイン阻害薬が変形性膝関節症(加齢とともにひざ関節が変型して痛む病気)の治療薬になる可能性もあると考えられています。
お口の手入れは、歯と歯ぐき、脳に加え、関節を守ることにもつながるかもしれません。お口の手入れと歯科での定期健診を心がけ、これらをまとめて防ぎましょう。

この記事は『安心』2021年3月号に掲載されています。
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