解説者のプロフィール

村井俊治(むらい・しゅんじ)
東京大学名誉教授。1939年、東京都生まれ。東京大学工学部を卒業後、東京大学生産技術研究所において、測量工学、空間情報工学を研究。1983年、東京大学教授に就任。国際写真測量・リモートセンシング(遠隔探査)学会の会長などを歴任する。タイ国アジア工科大学大学院主任教授、国連大学高等研究所兼任教授などを経て、2000年に東京大学を定年退職し名誉教授。著書は50冊にのぼり、受賞も多数。2017年、測量工学の分野において顕著な功績を残した「世界の10人」に選出される。アジア地域で“リモートセンシングの父”と呼ばれる、測量工学における世界的権威の一人。測量工学的アプローチによる「地震予測」を2002年に開始して以降、現在もその研究に情熱を注いでいる。
手作りの食事とウォーキングで40年以上医者いらず
私は40歳のときから、81歳の現在に至るまで、一度も健康診断を受けていません。
目と耳・鼻、歯に限っては別です。こればっかりは、自分で見て治せない部分があるので、眼科と耳鼻科、歯科には、お世話になることもあります。
それでも、「自分の健康は自分で守る」という一貫した主義のもと健康を保ってきました。
そんな私の体づくりを支えているのが、加工品を極力避け手作りした、安全な食品の数々。口から入る物が、健康をつくると考えているので、食事には気を遣っています。
ご飯は、玄米をよく食べ、おかずには無農薬の野菜をたっぷりと使います。菜食主義ではないので、魚や肉もいただきますが、割合は7対3といったところ。調理法は蒸すことが多く、揚げ物は控えます。量は少なめを旨とし、間食はとりません。
ちなみに運動はウォーキングと、室内で行う体操程度です。
こうしたスタイルを長年続けてきたおかげで、私はもう40年以上医者いらずで過ごしています。
10年近く前、インフルエンザに感染したことがありますが、自分の治癒力を信じて3日間じっとしていたら、薬なしで治りました。免疫力は年齢とともに衰えるものですが、私はカゼをひくことも、めったにありません。
自分なりに整えた生活スタイルを、定番として長年守ってきたことが、功を奏しています。
時間も手間もかからず胃に優しく栄養満点
私が「自分の健康は自分で守る」という信念を持つに至ったきっかけは後述しますが、その前に、20年以上も私の健康を守ってきた、オリジナルの朝食メニューをご紹介しましょう。
玄米の粉を使って作る、お粥です(作り方は下記参照)。
材料の玄米粉は、玄米をミルサーで細かく砕いた物ですが、市販品でもいいでしょう。煮干し粉も、同様です。煮干し粉を入れることで、だしのきいた粥になります。
これにみそを加えるのですから、味のイメージはちょうど、みそ汁をかけたご飯、いわゆる「ネコまんま」に似た感じです。
朝食作りは私の仕事ですが、この粥は粉から作るので、あっという間に出来上がります。消化もいいので、朝の胃に負担の少ないメニューといえます。
ヒジキを入れることで、食物繊維やミネラルが強化されるので、あれば加えるといいでしょう。また、納豆が好きなら、混ぜて食べると大変おいしいうえ栄養も満点です。
村井先生の玄米粥の作り方

【材料】(1食分)
玄米粉…大さじ山盛り1杯
乾燥ヒジキ…少量
水…150ml
みそ…大さじ1/2杯
煮干し粉…小さじ1/2杯
※分量は目安なので適宜調整する。
※玄米粉は、自分でミルサーなどで玄米を粉砕するほか、自然食品店や一部の米穀店などで購入も可能。

【作り方】
❶小鍋に玄米粉とヒジキを入れて、分量の水を注ぎ、10分以上浸しておく。
❷①を弱火にかけて、みそと煮干し粉を入れ、ゆっくりかき混ぜながら温める。
❸5分ほどして粥状になったら完成。


ヒジキは入れなくても可。

納豆を入れて食べてもおいしい!
実は、この玄米粥を始める前は、朝食抜きの生活をしていました。生涯医者にかからなくて済むような、一生モノの健康法を探していた私は、故・甲田光雄医師の著書『奇跡が起こる半日断食』(マキノ出版)を読み感銘を受けました。そこで、朝食を抜く半日断食を、8ヵ月ほど実践してみたのです。
結果はすばらしいもので、私は70㎏から63㎏に減量。体が軽くなり、体調もよく、電車などで長時間立っていても、以前より疲れなくなりました。
いっしょに実践していた妻も同じようにやせたのですが、妻は動悸が出たため、中断しました。そこで、朝食を復活させるにあたり、胃にやさしい物をと考えて、この玄米粥にたどり着いたというわけです。
玄米粥は今も続けていますが、新型コロナの自粛期間中に、新たに玄米粉パンケーキも考案しました。逆境下でも、小さな楽しみを見つけるプラス思考。これもまた、免疫を高める秘訣の一つではないでしょうか。
医者任せの薬頼みでは健康になれない
さて、人に話すと驚かれますが、実は私はオリンピック選手でした。1960年、21歳のとき行われたローマオリンピックに、ボート選手として出場したのです。
東大のボート部で厳しい鍛錬を積んでいたので、若いころは筋肉質で、丈夫な体には自信がありました。それでも、健康診断は毎年受けていました。
ふと疑問がわいたのは、40歳のときです。当時私は、海外派遣の仕事を控えており、「人間ドックで検査を受けるように」と大学から指示を受けました。初めは従うつもりでしたが、40歳以降は成人病検診になるので前年に比べ、検査項目が大幅に増えると知りました。
なぜそんなに検査を受けなければならないのか。そう考えた私は「健康であることは、自分がいちばんよくわかっているので、検査の必要はない」と主張しました。しかし医師は「調べないとわからないから、必要なのだ」と耳を貸しません。
しぶしぶ検査を受けたところ結果はもちろん、すべて「異常なし」。これが、私が医療に不信感を抱いたきっかけでした。
決定打は、その6年後の出来事です。やはり海外から帰国したあと、法定伝染病の腸チフスにかかっていることが判明しました。ひどい下痢が続き、身動きが取れません。ようやく落ち着いてきた2週間後、はうようにして、とある胃腸内科に行きました。都心の病院です。
ところが、そこの医者は私に何といったと思いますか。「そんな危ない病気の人は、うちに来ないで!」と、受付の前で追い払ったのです。
それが医者のいうことか! と怒り心頭。失望した私は、治療を受けずに帰ってきました。
こうした経験から、私は医者や薬に頼るのをやめ、生涯病気にならない方法を、自分なりに模索し続けてきました。
今は病気になると、患者は医者任せの薬頼み。それでは自己治癒力や免疫力は、低下の一途をたどります。一方、医師は薬を過剰に処方しがちです。2019年の我が国の医療費は、過去最高の43兆円超だそう。今こそ意識を変えるときでしょう。
一人ひとりが真剣に健康づくりに取り組めば、それがいちばん世のためになる。そんな思いで玄米粥を炊くことから、私の1日が始まるのです。

この記事は『壮快』2021年2月号に掲載されています。
www.makino-g.jp