解説者のプロフィール

河合隆志(かわい・たかし)
1975年、愛知県出身。医学博士。日本整形外科学会専門医。 慶應義塾大学理工学部卒業、同大学院修士課程修了。 東京医科大学医学部卒業。東京医科歯科大学大学院博士課程修了。 痛み研究の最先端をいく愛知医科大学学際的痛みセンター勤務後、米国のペインマネジメント& アンチエイジングセンター他研修。 2016年、フェリシティークリニック名古屋を開院。原因不明の痛みに悩まされている患者さんの「最後の砦」を自負し、対処法ではなく痛みを根本的に治す治療を試みている。 著書に『痛み専門医が考案 見るだけで痛みがとれるすごい写真』(アスコム)など多数。
▼フェリシティークリニック名古屋(公式サイト)
痛みの原因は脳の誤作動
「呼吸を変えれば、脊柱管狭窄症の痛み、しびれ、または腰痛がよくなる」と聞いたら、驚かれるかもしれませんね。
今回ご紹介する「酸素たっぷり呼吸法」は、いすに座り、腰に手を当てながら大きく呼吸することで、脳と全身に酸素をたっぷり届ける呼吸法です(詳しいやり方は後述)。
これまで、腰の痛み、しびれに悩む患者さんに指導したところ、9割以上の人が改善しています。
なぜ、呼吸が腰の不調を改善するのか? それは「脳の誤作動」を解消できるからです。
近年、世界中の研究から、脊柱管狭窄症や椎間板ヘルニアなどが引き起こす慢性腰痛の多くの原因が、「脳」だとわかってきています。
最初に腰痛の発端となるのは、なんらかの理由で腰の筋肉や神経などが受けたダメージかもしれません。でも、それらはとっくに治っているのに、脳が勝手に「痛い!」と誤解し続けているのです。
カギを握るのは「扁桃体」です。扁桃体は脳の最も原始的な部位で、危険から身を守るような、本能的な反応時に活発になります。体が傷つけば、その情報は神経を介して脳に伝わり、扁桃体が興奮して、「痛み」という危険信号を発します。
体のダメージが治まれば扁桃体の興奮は鎮まり、痛みも消えるのが正常な状態です。
しかし、腰痛でつらい思いをした記憶から、「また痛くなったらどうしよう」「嫌だな」などの不安や恐怖の感情にとらわれ過ぎると、扁桃体の興奮が鎮まらなくなります。というのも、扁桃体はこれらの感情をつかさどる「感情脳」でもあるためです。
一方で脳には、痛みに対するブレーキもあります。「背外側前頭前皮質」という部位に、扁桃体などの興奮を鎮める役割があります。この部位は、合理的に物事を考える、感情の動きを抑制するなど、理性的な行動をつかさどる「理性脳」です。
慢性腰痛の患者さんの脳では、背外側前頭前皮質の体積が減り、活動が衰えているとの研究報告があります。
つまり、理性脳によるブレーキが効きにくくなり、感情脳が暴走。その結果、腰痛の発端となった原因は解消されても、「腰が痛い」状態が続く……。いわば、脳が作り出した幻の痛みに苦しめられているのです。
医師も腰痛の真の原因を確かめられない
「脊柱管狭窄症」と診断された腰痛に悩む方も、この状態にある可能性があります。
そもそも脊柱管は加齢に伴い、誰でもある程度は狭くなります。わずかな狭窄で激痛を訴える人もいれば、画像ではひどい狭窄があるのに無症状の人もいます。
脊柱管の狭窄と、腰痛や下半身の痛みが本当に関係あるかどうか、実は私たち医師にも確かめるすべがないのです。
足のしびれや排尿・排便障害などの神経症状が強く現れているケースは、必要に応じて神経の圧迫を取る外科的治療を検討すべきですが、腰痛が主な悩みなら、酸素たっぷり呼吸法で改善する可能性が高いでしょう。
米国ノースウェスタン大学の研究で、慢性腰痛の人は健康な人と比べて「脳の血流量が全体にわたって少ない」と判明しています。
脳は全身の酸素供給量の約20%を必要とします。その脳の血流が低下し、酸素不足に陥ると、脳は本来の働きができなくなります。これがさきほど説明した幻の腰痛を招く脳の誤作動の大きな要因です。
また、ストレスや不安、恐怖を感じやすい状態にあると、自律神経(内臓や血管の働きを調整する神経)が乱れ、知らずに浅い呼吸になってしまいます。その結果、体が取り込む酸素量まで減ってしまうわけです。
そこで、呼吸法が大切になります。呼吸は、私たちが自律神経に介入できる唯一の方法です。「ゆったりと深い呼吸を行うことで、自律神経の働きが整う」。これは、多くの医学的研究で確認されています。
しかも、自律神経の働きが整うと、全身の血流量もアップします。過度に緊張、収縮していた筋肉や血管がゆるみ、血液が流れやすくなるためです。
こうして、酸素が脳に十分に供給されると、感情脳や理性脳の働きも正常化して、痛みの悪循環から脱することができます。
酸素たっぷり呼吸法のやり方
❶いすに腰かけ、両手を腰のベルトの高さのところに当て、両親指を背骨の中心横の太い筋肉(脊柱起立筋)の外側に置く。背すじは伸ばし、目を閉じる。

❷3~8秒ほどかけて、鼻から全ての息をゆっくりと吐き切ると同時に、無理のない範囲で少しだけ腰を反らして、両手親指に押し当てて刺激する。

❸4秒ほどかけて、鼻からゆっくりと息を吸い込みながら、②の姿勢から①に戻る。この一連の動作を1日約5分くり返す。


この記事は『安心』2021年1月号に掲載されています。
www.makino-g.jp