解説者のプロフィール

渡邊雄介(わたなべ・ゆうすけ)
国際医療福祉大学医学部教授・山王病院東京ボイスセンター長。1966年生まれ。90年、神戸大学医学部を卒業。専門は音声言語医学、音声外科、音声治療、GERD(胃食道逆流症)、歌手の音声障害。耳鼻咽喉科のなかでも特に音声言語医学を専門とする。2012年から現職。著書に『声の専門医だから知っている こけない 老けない よろめかない 声筋のすごい力』(ワニブックス)など多数。
声帯が閉じると肺が膨らみ上体が安定
体のしくみについては、私たち医師には常識でも、一般の人が聞くと驚かれることがよくあります。のどと転倒との関係も、その好例といえるでしょう。
転倒は、体力の衰えた高齢者においては要介護への一里塚になりかねません。転んだはずみに骨折。動くのが困難で寝たきりになり、やがて介護が必要になる、というケースです。
『平成30年版高齢社会白書』(内閣府)に発表された統計によれば、介護が必要になった原因は認知症(18.7%)、脳卒中(15.1%)、高齢による衰弱(13.8%)に次いで骨折・転倒が4番め。12.5%も占めています。
通常、転ぶ原因は足腰の筋力の衰えや、平衡感覚、脳の空間認知能力、視力などの低下が考えられます。
ただ、それらはもっぱら段差につまずいて、という場合がほとんどです。ところが、お年寄りの場合、段差のない平らな場所でも転倒してしまうことが少なくありません。
床面のわずかな傾斜。靴下がちょっとツルッとする。年を取ると、これだけでもふんばれずに転んでしまうのです。
なぜでしょうか。その主な原因がのどにあるのです。
つまずきそうになったとき、一般的にはとっさにふんばって、体のバランスを保ち、転ばないようにします。ほとんど無意識ですが、この瞬間、のどではその周囲の筋肉が働いて声帯を閉じます。
私はこの小さな筋肉群を「声筋(こえきん)」と名づけています。
すると、空気の流出が止まり、肺を一気にパンパンにふくらませて、上体が安定します。それが姿勢を保つ、つまりふんばって転倒を避ける力になるのです。

ところが、声筋が衰えて声帯を閉じる力が弱くなると、声帯のすき間から空気が漏れてしまい体に力が入りません。その結果、ふらついたり、よろけたりして転倒してしまうのです。これがお年寄りに多い転倒の原因の一つです。
よく重い物を持ち上げるときに、「うっ」とか「よっこいしょ」と声を出し、息を止めますね。その瞬間、声帯が閉じて、体に力を入れて足腰をふんばらせることができるのです。
しかし、声筋の衰えた人が重い物を持つと、声帯をうまく閉じられず、体が安定しません。足腰に力が入らず、フラフラしてしまいます。
パンパンにふくらんだ風船だって、栓から空気が漏れていればフニャフニャになります。それと同じことです。
階段を歩くのが楽になった人も
こうしたのどの「体に力を入れる」機能は、転倒防止だけでなく、さまざまな面で私たちの役に立っています。
わかりやすいのはスポーツです。例えば、オリンピックのハンマー投げ金メダリストの室伏広治さん(東京医科歯科大学教授)は、ハンマーを手から放す瞬間、「いええい」と大声を発します。重量挙げの選手もバーベルを持ち上げる瞬間、驚くほど大きな声を上げます。
あれは単に気合いを入れているのではなく、のど(声帯)をピッタリと閉じて瞬間的な力を発揮するためなのです。
私の患者さんは、声筋を鍛えることで、「ゴルフの飛距離が伸びた」「階段を歩くのが楽になった」という人が多数いらっしゃいます。これはふんばる力がついた証拠でしょう。
ふだんから声筋を鍛えておくことがいかに大切か、納得していただけたのではないでしょうか。
声筋強化の方法はいろいろありますが、ここでは患者さんにもよくお勧めしている声筋のトレーニングを三つご紹介します(やり方は下項参照)。
❶おでこプッシュ
おでこを押す力に抵抗することで、のど仏の周囲に力が入り、声筋が鍛えられます。声筋の周りにグッと力を込めることを意識しながら行ってください。
❷あごほぐし
手を首ではなく、必ず下あごに当ててあごを上下させます。下あごの力を抜き、よく動くようにします。そして、ため息をつくように、「あー」と優しく発声するのがコツです。
❸舌ストレッチ
舌と声筋とは連動しており、舌を動かすことで声筋もほぐれて、強くなっていきます。舌は筋肉の塊ですから、やればやるほど効果が期待できます。
ふらつき、よろつきが気になる人は、足腰を鍛えるだけでなく、ぜひ声筋も鍛えてください。それが怖い転倒からあなたを守ってくれるはずです。
声筋トレーニングのやり方
①おでこプッシュ
おでこに片方の手のひらを当て、頭と手で押し合いっこをする。頭はヘソを見るように下方向に力を入れ、手はそれを押す戻そうと上方向に力を入れる。1回5秒で5回行う。

②あごほぐし
片方の手の親指と人差し指でVの字を作り、下あごに当てて5秒ほど上下に動かす。下あごの力を抜き、よく動くようにする。そして、ため息をつくように「あー」と優しく発声する。5回行う。

③舌ストレッチ
後ろ手を組み、腕をなるべく高く引っ張り上げる。その状態で、舌を出したり引っ込めたりを5回くり返す。舌を出すときに、ため息をつくように「あー」と優しく発声する。


この記事は『壮快』2021年1月号に掲載されています。
www.makino-g.jp