解説者のプロフィール

荒木厚(あらき・あつし)
東京健康長寿医療センター副院長。1983年、京都大学医学部卒業。89年、東京都老人医療センター内分泌科に勤務。95年、英国ロンドン大学ユニバーシティカレッジ、96年、米国ケースウェスタンリザーブ大学に留学。東京都老人医療センターと東京都老人総合研究所が統合して発足した東京都健康長寿医療センター糖尿病・代謝・内分泌内科部長、内科総括部長を経て現職(内科総括部長兼務)。日本老年医学会、日本病態栄養学会の専門医・指導医。日本内科学会総合内科専門医。高齢者の糖尿病とそれに関連する認知症の治療・研究が専門。「高齢者糖尿病診察ガイドライン」の策定時の委員も務める。
高齢者の血糖値は低過ぎるのも危険
生活習慣病である2型糖尿病は、肥満やメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)と関連し、多忙な働き盛りの人に多いと思われがちです。
しかし、実際は加齢とともに、膵臓から分泌されるインスリンの働きが低下し、分泌量も減ってくるため、高齢者の糖尿病の方が圧倒的に多いことが分かっています。
患者さんの内訳を見ると、高齢者(65歳以上)が7割近くを占め、その約半数以上は後期高齢者(75歳以上)です。
特に75歳以上の後期高齢者においては、糖尿病治療と同時に
〇日常生活動作の低下
〇認知機能の低下、うつ傾向
〇骨粗鬆症(骨がもろくなり骨折しやすくなる病気)や転倒による骨折
〇サルコペニア(加齢による筋肉量の減少や筋力低下)
〇フレイル(心身の機能が低下し、介護になりやすい状態)
〇低栄養
といった「老年症候群」と総称される症状への目配りが不可欠です。
高齢の糖尿病患者さんは、糖尿病でない高齢者と比べて約2倍、こうした老年症候群を起こしやすく、同時に老年症候群の患者さんの糖尿病は悪化しやすいという負の循環があります。
高齢の糖尿病患者さんに対し、これまではもっと若い人同様の基準で治療が行われてきました。つまり、糖尿病性の神経障害や網膜症、腎症といった合併症を防ぐため、血糖値は低めに保つほどよいとされてきたのです。
しかし、国内外の多くの疫学調査(集団を対象に病気の原因や発生状態を調べる統計的調査)や研究の知見によって、高齢者にとって、血糖値は高過ぎるのと同様に、低過ぎるのもさまざまなリスクを高めてしまうことが分かってきました。
重症低血糖は認知症や寝たきりのリスクを招く
そうした観点から、2017年に、日本老年医学会と日本糖尿病学会が協議し、高齢者の特徴に配慮した治療方針「高齢者糖尿病診療ガイドライン2017」が発表されました。
大きな特徴は、患者さんの心身の状態や周囲のサポート態勢を考慮した、きめ細かな目標値を定めたことと、目標値の下限を設定し、低血糖防止を重視したという点です。
重症低血糖は、1回起こすだけで、認知症を発症することもあります。また、低血糖で起こるめまいや脱力などは転倒を招き、骨折から寝たきりになるリスクが高くなります。
高血糖がもたらす合併症のリスク以上に、低血糖によってもたらされるQOL(生活の質)の低下が大きいのです。
血糖コントロールの状態は、過去1~2ヵ月間の血糖値の状態を示すヘモグロビンA1cの値で評価します。合併症の予防を目的とする場合、一般的な目標値はヘモグロビンA1c 7.0%未満です。
しかし、この高齢者向けの診療ガイドラインでは、心身の機能に応じて、個別に目標を設定することになっています。そのため、ヘモグロビンA1cは最大で8.5%未満が目標値として許容されます。
患者の特徴・ 健康状態 | カテゴリーⅠ | カテゴリーⅡ | カテゴリーⅢ | |
認知機能正常かつ日常的な生活動作が自立している | 軽度認知障害〜軽度認知症があるまたは一人での買い物や外出、金銭管理などに不安がある | 中等度以上の認知症があるまたは一人でのトイレや食事、家の中の移動に支障があるまたは多くの持病や機能障害がある | ||
重症低血糖が危惧される薬剤(インスリン製剤、SU薬、グリニド薬)の使用 | なし | 7.0%未満 | 7.0%未満 | 8.0%未満 |
あり | 65歳以上 75歳未満 7.5%未満 (下限6.5%) | 8.0%未満 (下限7.0%) | 8.5%未満 (下限7.5%) | |
75歳以上 8.0%未満 (下限7.0%) |
この対象となるのは、認知症が進んでいたり、トイレや食事といった基本的な日常生活行動が一人ではできずに、介護が必要だったりする患者さんで、血糖値を下げる作用が強く、重症低血糖を起こしやすい薬(インスリン製剤、SU薬、グリニド薬)を使っている人です。
同時に、目標値が8.5%の人は、7.5%未満には下げないようにするという下限値が設けられました。
というのも、ヘモグロビンA1cが下限値を下回っている場合、高齢の患者さんでは特に重症低血糖のリスクが高く、注意する必要があるからです。
高齢者は加齢によって腎機能が低下しているために、糖尿病の薬が蓄積し、血液中の濃度が高くなっています。つまり、血糖値を下げる薬の影響が残りやすいということです。
血糖が下がり過ぎたときには、血糖を上げるためのホルモンが働くしくみがありますが、高齢になると血糖値を上げるホルモンも出にくくなります。
また、高齢者はちょっとした寒暖の差や体調によって、食欲が大きく変動しやすいものです。食欲がなくてあまり食事をとらず、血糖値が上がっていないところに血糖降下薬を通常量服用すると、低血糖が起こりやすくなります。
さらに、低血糖に気づきにくいというリスクもあります。
若い人だと、血糖降下剤が効き過ぎて低血糖を起こすと、発汗、動悸、手のふるえなどの典型的な低血糖症状が現れます。
しかし、高齢者の場合は、そうした典型的な症状ではなく、頭がクラクラする、めまいがする、目がかすむ、ろれつが回らない、脱力感がある、集中力がなくなる、意欲が低下する、せん妄(一時的な意識障害や認知機能低下)といった、非典型症状として現れることが少なくありません。
そのため、低血糖を起こしていることに気づきにくく、重症化させやすいのです。
発汗・動悸・手のふるえといった典型症状が起こりにくい高齢者の低血糖の兆候
•頭がクラクラする •めまい •目がかすむ •ろれつが回らない •脱力感、集中困難、意欲低下 •せん妄(一時的な意識障害や認知機能低下)

筋肉のやせ過ぎを防ぐのがとても重要
このように加齢に伴うさまざまな影響によって、中年期までの治療方針を変えていく必要が出てきます。
糖尿病になると、食事指導がつきものです。しかし、高齢者が若い世代と同じように食事制限をすると、運動不足とあいまって筋肉が落ちていき、サルコペニアやフレイルといった老年症候群に陥りやすくなってしまいます。
*サルコペニア:筋肉量が減少し、筋力や身体機能が低下している状態
*フレイル:加齢に伴い身体の予備能力が低下し、健康障害を起こしやすくなった状態
そのため、中年期においては糖尿病の予防・改善にメタボ対策が必要なのに対し、65歳以上になったらフレイル・サルコペニア対策をふまえた食事にシフトしていきましょう。
一般の目標体重は身長(m)×身長(m)×22で算出しますが、75歳以上では身長(m)×身長(m)×25まで許容されます。
身長160cmの人であれば、56.3kgが中年期までの目標体重だったのに対し、75歳以上でフレイルがある場合には、目標体重を64kgとして、摂取カロリーを増やす場合もあります。むしろやせ過ぎの方に注意をしましょう。
サルコペニアを防ぐためにも、特に筋肉の元となるたんぱく質をしっかりとりましょう。
1日に体重1kg当たり、一般の高齢者では1.0~1.2g、低栄養のリスクがある場合は1.2~1.5gのたんぱく質をとることが勧められます。体重60kgの高齢者では、腎臓機能が問題なければ、1日60~90gのたんぱく質が必要ということです。
肉や魚100gに含まれるたんぱく質は15~20g、卵1個で約8gですから、食が細くなる高齢者では、かなり意識的にとる必要があります。
また運動によって筋力低下を防ぐことも大切です。
ただウォーキングのような有酸素運動だけでは、筋肉の衰えを食い止められません。ダンベル運動やスクワットのような、筋肉にくり返し負荷をかけて鍛える筋トレ(レジスタンス運動)を、週2回行うことをお勧めします。こうした運動は、認知機能低下を防ぐのにも有効です。
運動療法を続けるコツは、なんといっても仲間と一緒に行う集団指導を受けること。地域の包括支援センターに相談するとよいでしょう。
高齢者の糖尿病治療のポイント
◎高血糖だけでなく低血糖のリスクに注意する
めまいやかすみ目、集中力の低下など、気づきにくい兆候(上記参照)に注意する。
◎メタボ対策よりも、フレイル・サルコペニア対策を!
❶高齢者の体重は、
【身長(m)×身長(m)×22~25】を目標に!
中年までの標準体重【身長(m)×身長(m)×22】よりも上方修正。
❷たんぱく質をしっかり食べることを意識する。
1日に体重1kg当たりたんぱく質を一般の高齢者では1.0 ~1.2g、低栄養のリスクがある場合は1.2~1.5gをとる。
❸筋肉に負荷をかける運動で、筋力低下を防ぐ。

中年期までは太り過ぎ、高齢者はやせ過ぎに注意

この記事は『安心』2020年11月号に掲載されています。
www.makino-g.jp