プロフィール

谷津嘉章(やつ・よしあき)
プロレスラー。1956年群馬県生まれ。76年モントリオール五輪フリースタイルで8位入賞や、全日本選手権5連覇などレスリングで活躍。後にプロレスへと転向し、「荒武者」の異名をとる荒々しいファイトで活躍。盟友・長州力とは、新団体の旗揚げも行っている。
暴飲暴食していても血糖値はやや高いくらい
オリャ! プロレスラーの谷津嘉章です。糖尿病からくる壊疽で、右足を失ったのが、2019年の6月25日。それから1年以上経ちますが、今でもときどき、朝、目が覚めると、足がないのを忘れて両足で立とうとしてしまうことがあります。
もともと私は血糖値が高めで、糖尿病とは長いつきあいです。最初に血糖値が高いことがわかったのは、30年近く前。確か35歳のときでした
ただ、医者から注意しろといわれても、節制はほとんどできませんでした。なにしろ、そのころは、現役バリバリ。強い体をつくり、維持するためには、しっかり食べることがなにより重要です。筋肉の鎧がないと、キックやチョップなどの技を受けたとき、モロにダメージを受けてしまうのです。
ハードな筋トレをやって、肉をモリモリ食べる。もちろん白飯も欠かせません。さらに、ビールをガバガバ飲んで、1日5000~6000kcalくらいとっていました。
しかし、私の場合、こんな生活をしていたにもかかわらず、食後でも血糖値は150~160mg/dl程度でした。基準値こそ超えていますが、びっくりするほど高いというわけではなかったのです。
ですから、インスリンを打ったことは一度もありません。ずっと治療薬を飲んでいただけでした。
それでも自分なりに気を遣って、糖尿病にいいといわれていた健康食品などをいろいろ試しましたが、けっきょく、血糖値が大きく変化することはありませんでした。
糖尿病の人のなかには、血糖値がメチャクチャ高くなってしまう人がいるじゃないですか。どうやら私は、そういうタイプじゃなかったようです。
足を失う寸前だって、食後の血糖値が200mg/dlを超えたことはありません。ヘモグロビンA1cだって、7.7%程度だったんです。もっと高い人はいくらでもいますよね。
ですから、いわゆる、糖尿病の自覚症状も、ほとんど経験していないんです。「のどが渇いて、しょうがない」とか、「トレイがすごく近くなる」とか、全くありませんでした。
唯一あったのが、50代の終わりぐらいから感じていた手足のしびれです。特に指先がしびれて、足に関しては冷えもすごく感じる。でも、そこまで重く考えてはいませんでした。
足を切断するという話になったときも、担当の先生がしきりに不思議がっていました。これくらいの血糖値なら、普通、こんな合併症は起こらないですよって。
でも、私は、それが糖尿病の怖いところじゃないかと思うんです。糖尿病は、悪くなると、その人のウィークポイントを狙ったように症状が現れるんじゃないかって。私の場合、それが足の血管だったんです。

去年の6月に右足を切断
最も気をつけるべきは左足を失わないこと
私は54歳で一度プロレスを引退しましたが、50代の終わりからスポット参戦のような形でリングに復帰しました。
復帰後、最初は右足が腫れて変色し、小指(第5趾)の根もとが化膿しました。病院に行くと、足が壊死しかけているというんですね。このときは抗生物質と、患部に塗る軟膏で、なんとか切らずに乗り切れたんです。それが一昨年のことでした。
そして去年、今度は右足の人差し指(第2趾)に血豆ができました。今度も一昨年のように、ちゃんと治療すれば、きっと乗り切れると信じていました。
──だけど、それは甘い考えでした。
6月2日には、リングに上がって試合をしていたのに、同じ月の23日には、右足の切断が決まっていました。
25日にはもう手術。
片足を失うというのに、心の準備もなにもありません。足の壊死が進み、1日に数cmずつ、菌が上がってくる状態で、一刻の猶予も許されなかったそうです。
手術の翌日、「共闘」と「仲たがい」を何度もくり返したかつての盟友、長州力さんの引退試合がありました。私は麻酔が切れた痛みをこらえつつ、スマホでそれを見届けました。
「俺が足を切った翌日に、長州さんが幸せそうに引退する皮肉。この落差はなんなんだよ?」と思いましたよ。
でも、同時に、「コノヤロー、負けてたまるか!」って気持ちも湧いてきました。ある意味、長州さんから励ましてもらったようなもんです。
だから、これからの人生は、「谷津嘉章・第2章」だと思っています。
義足をつけてのリハビリもキツかったけれど、がんばりました。そのかいあって、「通常よりかなり早いペースで慣れましたね」と褒められました。

通常よりも早いペースと褒められた
今、最も気をつけなくてはいけないのは、残った左足を失わないこと。左足をケガしないように気をつけることはもちろん、もしも左足に血豆ができたり、傷ができたりしたら、ただちに病院に駆けつけろ!と医師にも強くいわれています。
もちろん、食事にも、それなりに気を遣っています。とはいえ、自己管理は得意ではありません。それに、厳格な糖質制限はストレスがたまるので、かなり緩めにやっています。例えば、白いご飯はやめられないので、発芽玄米と白飯を、1:2で混ぜて炊きます。
人工甘味料や砂糖も控えています。どうしても甘みが欲しいときは、ハチミツで代用。肉や魚を食べるときも、お酢を加えたり、ダイコンおろしで食べたり、いろいろ工夫をしています。
腎臓がよくないので、カリウムにも注意が必要です。一般には健康によいといわれる野菜もそのままじゃ食べられないので、水に5時間くらい浸して、カリウムを抜いてから、食べています。
アルコールも制限しています。大好きな日本酒を飲むのは正月だけ。あとはずっとガマンして、ウィスキーや焼酎などの蒸留酒を飲んでいます。
間食もよくないので、大好きなせんべいを食べるのも我慢しています。
……だけど、けっきょく、夕食後に食べるんだよね。ほら、どうせ夕食でインスリンが出てるから、せんべいもついでに食べちまえってね(笑)。
今も、たまに思うことがあります。足がないのは夢なんじゃないかって。
ただ、なくなった足は生えてこないし、暗い気持ちになってるだけじゃ、いいことはなにもありません。気を取り直して、前向きなことを考えるようにしています。
義足になったからって、暗く生きなくちゃいけないってことはない。今後も、明るく、アクティブに生きていきたい。新型コロナウイルスの影響で中断してしまっていますが、義足のプロレスラーとして、リングに上がる計画も温めています。
ユーチューバーとしても、自分の生きざまを今後も続々発信していくつもりです。1本足になっても、生きざまで長州さんに負けたくないからね!
精神状態の安定が病状を落ち着かせる(ユニバーサルクリニック院長 白川太郎)
本人も知らぬ間に進行する糖尿病の合併症の怖さがよくわかります。アスリートにとって足を失うことは大きなショックでしょう。
しかしそれに負けず、前向きに取り組んでおられる点がすばらしい。精神の安定も、病状を落ち着かせる重要な要素です。今行っている食生活での工夫も、ぜひお続けください。

この記事は『壮快』2020年10月号に掲載されています。
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