プロフィール

南部虎弾(なんぶ・とらた)
1990年にパフォーマンス集団、電撃ネットワークを結成。鼻からビールを飲んだり、生きたピラニアを飲み込んだりと、過激なパフォーマンスで人気を得る。国内よりも海外で特に評価が高く、世界中を飛び回る。2017年に糖尿病で倒れ、搬送後に心不全が発覚。糖尿病からの腎不全も患い、2019年に妻の腎臓を移植。その後、舞台に復帰し、現役で体を張った芸を披露する。
外国で足切断を勧められ緊急帰国
私が糖尿病と診断されたのは、還暦を迎えた2011年秋のこと。最初に気付いたのは、足の異常でした。左足の甲にできた小さな傷が化膿し、ふくらはぎまで腫れてきました。
病院へ行くと、「壊死している」と言われました。糖尿病の合併症で免疫力(病気に対する抵抗力)が極端に落ち、単なる切り傷が化膿して、骨髄炎に進行していたとのこと。
すぐに大学病院を紹介され、患部をレーザーで切除する手術を受けました。医師には「次、何かあったら足を切断することになりますからね。入院して、しっかり治療を!」と言われました。
でも、ちょうど学園祭シーズンでスケジュールが埋まっており、穴をあけるわけにはいきません。医師と大議論になりましたが、特別措置で一時退院となりました。
自分でインスリン(血糖値を下げるホルモン)の注射をしなければならず、新幹線内で注射をしていたら、他の乗客から「危ない人がいる……」と、ささやかれたりもしました(笑)。
さらに学園祭シーズンの後、11月にオーストラリアでイベントの出演が控えていました。そのときも主治医に猛反対されたものの、なんとか説得し、車いすでオーストラリアに乗り込みました。
ところが、オーストラリアで現地の医師のチェックを受けたら、「これは足を切断しないとダメだ。明日すぐに手術だ」と言われたのです。私は「どうせ切断するなら、日本で手術を受けたいから明日帰ります」と残りのスケジュールをキャンセルして即、帰国しました。
暗澹たる気持ちで主治医の元を訪れると、意外にも「足、よくなってるね」と言うではないですか。
なぜ、そういう判断の違いが生じたのかはわかりませんが、不幸中の幸いで足の切断は免れたのです。おかげで、足は現在ではすっかり治りました。

南部さんの左足には、今も骨髄炎の傷跡が残る
人工透析を断固拒否!
その後も糖尿病に伴う苦難は続きます。2017年には突然、呼吸困難に陥って病院に緊急搬送されました。
「急性冠症候群」というそうですが、糖尿病が悪化して血管が弱り、心不全を起こしたのです。心臓バイパス手術を受けて、なんとか一命をとりとめたものの、約1ヵ月の入院となりました。
入院中、さらに衝撃的なことを告げられます。糖尿病の合併症で腎臓が十分に機能していないとのことで、人工透析(腎臓に代わり、医療機器で人工的に血液を浄化する治療法)を勧められたのです。
いったん人工透析になってしまえば、2日に1回の割合で通院し、1回数時間の治療を受けなければなりません。
当然、地方や海外に行けなくなります。それは、電撃ネットワークの活動ができなくなることを意味します。
とにかく人工透析だけは避けたいと、塩分を控えたり、生野菜を食べ過ぎないようにしたりと、自分なりに食生活の改善にも取り組みました。けれど、時すでに遅し……。腎臓の数値は悪くなる一方でした。
再三、人工透析を勧められましたが、断固拒否していると、根負けしたのか、主治医(糖尿病内科)に「私はもう言いませんから、一度、腎臓内科で話を聞いてきてください」と言われました。
そこで腎臓内科を訪れたところ、やはり「もう透析ですね」とのこと。腎臓病の進行を示す血清クレアチニン値が9.8mg/dlでした(正常値は男性で1.2mg/dl以下。一般に8.0mg/dl以上となると透析導入が検討される)。
「なんとかなりませんか」と相談すると、「腎臓移植という手もあるんですが……」と言われました。
腎臓移植という治療があることはなんとなく知ってはいたものの、詳しい説明を受けたのは、そのときが初めてでした。
近年、医学の発達によって「血液型が違っても腎臓移植できるようになった」ということも知りませんでした。
妻が腎臓を提供、禁煙も決意!
とはいえ、腎臓移植のハードルは高いものでした。
まず、健康な腎臓を提供してくれるドナー(提供者)を見つけなければなりません。日本ではドナー登録者数が極めて少ないため、臓器移植希望の登録をしても、何年も待たなければならないそうです。
私の場合、すぐにでも手術をしないと手遅れになるとのことでした。
もう諦めかけていたところ、うちのカミさんが「私の腎臓でよかったら」と言ってくれたのです。
聞くところによると、夫婦で腎臓移植という話になっても、7割くらいの妻は拒否するそうです。
自慢じゃないですが、うちは夫婦仲はよいほうだと思います。病気になって以来、カミさんは必ず病院に付き添ってくれたし、1日も欠かさずお見舞いにも来てくれました。
それでも、さんざん好き勝手をやって、こんな事態に陥ったのですから、私から「腎臓を提供してほしい」なんて、とても言えませんでした。それがカミさんのほうから、提供を申し出てくれたのですから……。
ただ、実は私は、血液型が千人に1人よりも少ないとされるRHマイナスのO型。カミさんはRHプラスのA型。さすがに難しいのではないかと思いましたが、「検査の結果次第で移植可能」とのこと。
そして、いくつも検査を受けた結果、可能だと判定されました。
カミさんの決意は固く、毎日1箱以上は吸っていたタバコもドナーになるためにきっぱりやめてくれました。

今も糖尿病と闘う南部さんは、障害者手帳も所持
腎移植の危険度が90%と診断され中止に……
しかし、その後もいろいろと大変でした。
当初、2019年5月16日に手術を行う予定でしたが、移植のための血漿交換という処置がうまく行かず、「危険度90%以上」と診断され、中止になったのです。
この危険度が5~10%でないと手術はできないそうです。2回目の処置でも65%と高い数値。そして、血漿交換は3回までしかできないと言われていました。
やはり難しそうだということで、医師から「親族で同じ血液型の人はいませんか?」と聞かれました。
実はこのとき、末の弟が同じ血液型で「ドナーになってもいい」と言ってくれました。でも、彼はC型肝炎にかかっていて、ダメだったのです。
もはや人工透析を受け入れるしかないかと半ば覚悟していましたが、最後のチャンス、3回目の血漿交換の処置で、なんと危険度が0.5%まで下がったのです。
そして、5月28日に手術が行われました。
手術自体は、3時間くらいで終わったようです。私の腎臓はそのままで、その下に妻の腎臓をつなげる形になっているそうです。つまり私は今、腎臓が三つあるのです。
手術後の2日間は、1日に水を3L飲み、10~25分おきに尿量を測る検査がありました。その間、寝てしまってはいけないので、これはちょっと大変でした。
術後の経過はとても良好で、6月16日には退院することができました。
以前と変わらぬ過激な舞台もこなせる!
現在では本当に調子がよく、食欲もあるし、食事がすごくおいしくて、驚きました。ただし糖尿病は治ったわけではないので、薬は飲んでいますし、食生活にも気をつけています。
お酒はカロリーの少ない焼酎ならいいとのことで、芋焼酎を炭酸割りで飲んでいます。
会う人、会う人に「顔色がよくなった」と言われるようになりました。
また、自分ではっきりと違いを自覚したのは、足のむくみがなくなったことです。腎臓が悪いときは、足のむくみがひどく、医師の診察も必ず足を触って、むくみがないかどうかを確認していましたが、今は全くなくなりました。
7月には電撃ネットワークの活動にも復帰しましたが、やはり体力が落ちていたのでしょう。復帰後初ステージでは、ゼエゼエと息切れして、「こんなにつらいものだったか……」と感じました。
私の仕事は、体を張ったパフォーマンスで観る人を驚かせたり、熱くさせたりして、エネルギーを与えることだと思っています。自分がエネルギーを出さなければ人には伝わらないので、息切れしてしまったことは反省しました。
でも、それも今では全然、平気なほどに回復しました。私が十八番とする、睾丸で重たいものを持ち上げる芸も、大ウケですよ。

3つの腎臓で現役バリバリ!体を張った芸を魅せる
私は、生来のパフォーマーです。自分の体が動くうちは、やり続けたいと思っています。
それもこれも、腎臓を提供してくれたカミさんのおかげ。
一生、頭が上がりませんね。
今も私が家に帰るのが遅くなったりすると、ジョークで「腎臓返して!」なんて言われたりするのですが(笑)。
最後に、腎臓移植を受けた身として一言。
実は私、術後に同じ病気を抱える他の患者さんに対して「自分だけ移植手術で治って申し訳ないな……」という複雑な感情を抱きました。
そのくらい、現状は腎臓移植のハードルが高いのです。
日本は人工透析の患者数が世界でも群を抜いて多く、一方、ドナー登録者の数は先進国の中で極めて少ないそうです。
今後、腎臓移植についての情報がもっと広まり、ドナー登録者が増えることを願っています。
そうなれば、私のようにやりたい仕事を続けられる人も増えるでしょう。私の話がそのお役に立てれば、幸いです。

この記事は『安心』2020年3月号に掲載されています。
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